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2016年01月30日18:23

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原節子と李香蘭:女優が時代精神を体現した頃

四方田犬彦『李香蘭と原節子』(岩波現代文庫、2011年)を読んだ。

改めて言うまでもなく、大多数の日本国民、少なくとも国家と代表的な論客や表現者の多くが、第二次大戦での敗戦を境に、その「思想」を180度転回させた。映画もその表現媒体の一つ。

このことに関連して、著者の四方田は、次のように言っている。

<黒澤はあきらかにここで、誤った問題と真の問題の間に区別を立てている。誤った問題とは、戦時中にいずれの立場を取ることが正義であったかという問題である。(中略)人間にとって自我の一貫性とはどのような意味を持つのか。これこそが『わが青春に悔なし』の根底にある問題であって、監督は残余をすべて些細事として処理しているように思われる。(中略)1944年に女子挺身隊の物語『一番美しく』を撮り、(中略)イデオロギー的には正反対の立場にある『わが青春に悔なし』を46年に、いかなる迷いもなく撮ることができたのは、そのためである。>

<日本映画史のなかで彼女たちの占める位置は、まったく独自のものである。なるほど芸達者で、心憎いまでに女の生きざまを感じさせる女優というならば、山田五十鈴なり、田中絹代なりがいる。(中略)だが「美しい日本女性」という観念を満足させる女優はといえば、原節子しか存在していない。なぜならば彼女だけが、西洋のオリエンタリズムの眼差しによって発見され、それを逆立させた日本人の観念のなかで、永遠なる美として存在を続けてきたからである(GG注:17歳のときナチスドイツとの合作映画「新しき土」に主演した)。この書物の意図は、その原節子の神話を分析するとともに、彼女と分身の関係にある李香蘭に対しても同じ「美しき日本女性」という称号を授けることにあった。それは他ならぬ彼女こそが、日本人が作り上げた第二のオリエンタリズムの眼差しによって神話化されてきたからである。>

1920年生まれの原節子(李香蘭=山口淑子も同い年)は、戦時中は日本軍国主義のイデオロギーに身を捧げ、昭和20年代前半は『青い山脈』などで戦後民主主義の女神となり、20年代後半以降は『東京物語』などで日本の伝統的な美徳を体現した。

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