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2023年03月12日14:07

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「伏流水」としての青年将校運動3

(「昭和維新運動」も含め3とする)

手元のみすず書房版『私の昭和史』には4ページ折の「書評抄」が挟まれていた。載っている書評は全て、この本が出た1963(昭和38)年に書かれたもので、評者の中には竹内好、橋川文三、三島由紀夫が含まれている。この、僕から見て当時の日本で最高峰の物書き・思想家である3人が(丸山眞男や鶴見俊輔、吉本隆明、安倍公房は含まれていないが)、吉松太平のこの本をこぞって賞賛している。

中でも三島は、『週刊文春』昭和38年8月14日号で、
<ここ十年ほどの間で、もっとも感銘を受けた「私の人生の本」といえば、この本をあげねばなるまい。(中略)
 そこでは、人間のさわやかさ、美しさ、至純が、何の誇張もなしにえがかれている。
 近代日本がついに逸していた人間の一面が、ここに結集していると云ってもよいのである。>
と、絶賛している。また、『中央公論』昭和38年8月号で三島は、小説家らしくエピローグ「大岸頼好の死」について触れ、「パセティックで、残酷な印象は比類がない」と評している。「残酷な印象」というのは、大岸氏が、戦後の晩年には怪しげな新興宗教に打ち込み、中堅幹部となって吉松氏を含む陸軍時代の友人知人らにも布教を試みるが、憧れの存在だった昔を知る旧友らから呆れ果てられ、その末に怪しげな信仰心からまともな医療を受けずに病死するてんまつに章全体が充てられているからである。

吉松氏が、自身への感化も含め戦前の青年将校運動の発火点であり、起爆剤であり続けた大岸氏の最期を、残酷なまでに冷静な筆致で描いたことには、痛切な意味がありそうである。蛇足ながら付け足せば、自らがかつて打ち込んだ「青年将校運動の敗北」の改めての確認だろうか。
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