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2022年09月25日21:35

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日本の「放送禁止歌」と、ソ連史と

読了したのは――
1 森達也『放送禁止歌』(光文社、2003年6月;元は解放出版社、2000年7月)
2 松戸清裕『ソ連史』(ちくま新書、2011年11月第一刷)
3 エレーヌ・カレール=ダンコース、山辺雅彦訳『民族の栄光 ソビエト帝国の崩壊』(藤原書店、1991年4月初版第一刷)

1 ドキュメンター映像作品を撮ってきた著者が、テレビやラジオなどで制作者‣送り手側のほとんどの人間が「放送禁止歌」と思い込み、放送されなくなっている歌、例えば、岡林信康の「チューリップのアップリケ」「手紙」や赤い鳥の「竹田の子守歌」等々とその周辺を追及した経緯を綴る。そこで判明したのは、それらは誰によっても「禁止」されておらず、民放連という業界団体が「要注意歌謡曲」として目安を定め、例を挙げた冊子が、ある時期まで発行されていたこと。そして、特定の歌が放送されなくなった現実の壁になったのは、メディア側の一人ひとりの内なる「自主規制」や、「抗議を受けたくない」という「メディア人としての覚悟の欠落だ」と思い至る。

2と3は、日本とフランスのソ連・ロシア学者による。2は積読だった。3は古本を取り寄せたもの。内村剛介の『わが身を吹き抜けたロシア革命』や『増補 呪縛の構造』を読みかけていたが、氏の発する言葉の核には、シベリアの捕虜収容所と戦犯有罪者としての独房=スターリン獄での11年に及ぶ過酷な経験があり、「もっと一般的なソ連史から知らなくては」という思いが強まった。
 それにしても、ソ連は独ソ戦で、第二次世界大戦での全死者約5000万人の半分に及ぶほど甚大で過酷な被害・損害を受けていたのに、最終的にナチスドイツに勝利したことでその国力も軍事力も実際より過大に評価された。僕自身も含め世界中がそう信じていた。第二次大戦で本土の被害が皆無だった、戦後冷戦のもう一方の雄、アメリカとは対照的である。2『ソ連史』によると、ソ連はアメリカと対抗するため、軍事産業と重化学工業に注力する比重を高めざるを得なかったため、国民のための日常消費財の生産・流通が貧弱で、国民の不満が絶えなかった。
 3はゴルバチョフ時代に顕在化した、中央アジアやカフカスの諸共和国とその民族の、モスクワのソ連共産党中央やロシア人への不満と批判が独立志向に転じる前夜を描いている。
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