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2022年03月02日01:04

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今と100年前と50年前

最近の事件として、世界的にはロシアによるウクライナ侵攻という大事件があり、個人的にはCOVID-19ワクチンの3回目接種と、米アカデミー賞の候補になって話題の日本映画「ドライブ・マイ・カー」を観たことがあるが、どれも書く気が起きない。

むしろ全く極私的に関心があってすぐ前の日記に書いたのが、まさに100年前、週刊朝日の創刊間もない号の表紙に、清朝最後の皇帝・宣統帝(愛新覚羅溥儀)16歳の時の清朝の盛装らしいセピア色の写真だった。この写真で溥儀は、満州国皇帝時代の丸眼鏡とひょろっとした姿とは違って、メガネはなくややふくよかで恰幅の良い、10歳くらい年上に見える美丈夫だった。満州事変より9年前、満州国建国より10年も前である。これを見て「溥儀はそんなに前から日本、日本人と近かったのか?」という疑問が浮かんだ。

映画『ラストエンペラー』の原作、岩波文庫のジョンストン『紫禁城の黄昏』は届いたばかりだが、溥儀の自伝を読みかじって分かったのは、辛亥革命で清朝が倒れ、自らは皇帝ではなくなった後も、溥儀と皇族、その世話をする家来は紫禁城に住む特権が与えられていたが、1924年11月に退去を余儀なくされた後に、日本の保護下に入ったこと。週刊朝日の表紙はその2年数カ月前だが、日記には出てこなかったと思う。典拠の文献は見つけていないが、自分なりに納得したのは、「天皇を頂き、最後の将軍・徳川慶喜が少し前まで生きていた大正期の日本人にとって、清朝『最後の皇帝』は親愛を抱く対象だったのだろう」ということ。

そして50年前の1972年2月19日〜28日は、浅間山荘立て籠もり事件の10日間だった。これを含む戦後新左翼の経緯については、池上彰・佐藤優『激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972』や『情況 2022冬 連合赤軍 半世紀後の総括』、新聞記事などを読んだ。これらにも興味深い記事や指摘もあったが、一つだけ引くなら2月24日東京新聞での加藤倫教(とものり)の言葉。彼は立て籠もった5人のうちの1人。当時は未成年のため実名は非公表だった。服役を終え、愛知県で家業の農業で暮らしている。

<政府に反対することイコール過激派と見る風潮を世の中に生んでしまった。自分たちは罪深いと思う>
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