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2021年06月20日14:20

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『甘さと権力』(コメントに追加)

シドニー・W・ミンツ著、川北稔・和田光弘訳『甘さと権力 砂糖が語る近代史』(ちくま学芸文庫)を読んだ。文庫になったのは先月だが、英語の原著は1985年、和訳単行本は1991年の刊行(メインの訳者・川北氏による訳者あとがきは1989年11月)。

文庫の広告を見るまで、この本について知らなかった。届くと、読みかけの本などは差し置いて読了した(しかも巻末の原注以外は飛ばし読みせず)。なぜこんなに急いで、まじめに読んだのか? この本(文庫が出る前の単行本)を30年間も知らなかったことが悔しかったのだ。

では、これは悔しがるほどすごい本なのか? 自分の中に判断できる基準がないのでググってみたが、本格的な書評にはヒットせず。30年前に、今も現役の柄谷行人や、今は亡き山口昌男が読んで書評でも書いていないか気になったが、ウェブにはなさそうだ(著作集などにはあるかもしれない)。そのほか、例えば「砂糖が日本の近代史に果たした役割」など「日本と砂糖」についての論究がないのは、ないものねだりだろうから、読了後に川北氏の『砂糖の世界史』を注文した。ただし同氏の専門はイギリス史で、日本についてはあまり視野になさそうだ。

著者のミンツ氏(1922-2015)はアメリカの人類学者で、プエルトリコのサトウキビ農園でフィールドワークすることから研究を始めた。この本が扱っているのは主に近代のイギリスだが、その場合のイギリスは世界各地の植民地、特に大西洋やカリブ海に浮かぶ旧植民地の島々を含む。これらの島ではサトウキビが栽培されていたからである。

砂糖はインドには古代からあったが、イスラム教徒のアラブ人によって中世になってヨーロッパに伝えられ、王侯貴族が薬や装飾として用いた貴重品だった長い期間が続いた。サトウキビは、1年かけて農園で育てて収穫すると、すぐに切って煮詰め精製していく過程で様々な形状になることから、装飾用なども含め多様な用途が開発された。

砂糖は、精製技術の開発改良や、本国から植民地農園への投資増大、サトウキビ栽培地域の拡大、寒冷地でのサトウダイコン栽培の普及などにより、生産が増大し、価格も低下して、社会の下層の労働者階級にも手頃な甘みとカロリー源として、手が届くようになった。同時に、やはり植民地などの海外で穫れる紅茶やコーヒー、チョコレートと併せて、砂糖が利用されるようになり、さらに消費量が増大していった。

ーー以上は、イギリスでの砂糖普及プロセスの概要だが、同じプロセスが周辺のヨーロッパ諸国やアメリカなど旧植民地、さらに世界各地に広がっていった。
 そして現代はといえば、砂糖の用途はさらに広がり、食品だけでなく医薬品などで甘みのため以外の利用法も発見され普及している。
 本来の食料として見た場合、単位面積当たりでは現在も砂糖は、最も効率的にカロリーを産出‣摂取できる食品であるという。この基本があり、さらに多様な用途が加わっている現状から、当分の間、人類社会で砂糖の地位は揺るぎそうにない。

この本の中核にあるイギリス労働者階級と砂糖の関わりの叙述を含め、サトウキビ農園でのフィールドワークから研究生活を始めただけあって、ミンツ氏の世界観歴史観はイデオロギー的でない。タイトルの権力(power)は単数形だが、国家権力に限らない。歴史の叙述に当たっては、例えばそれぞれ自己の利益を追求するプランター(農園経営者)、本国の投資家、地主階級などの議会への代議員や、砂糖税などの徴税権を行使する国家を「諸勢力」、そして、それらのせめぎあいの結果として政策決定、その帰結を見るーーといった姿勢が一例である。

そのプロセスの中で、貧しい労働者の家庭では、稼ぎ手の男性以外は特に、パンと砂糖入りの薄い紅茶だけの食事にも砂糖は必須となり、需要が拡大する、といった事態は珍しくなかったという。
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