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2021年02月13日21:13

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週プロ流智美あの日あの時予想2020年総括(38)

第154戦 9月30日発売号●【予想】BIのデビュー30周年記念同日興行、猪木&タイガー・ジェット・シン組vsビッグバン・ベイダー&アニマル浜口組(90年新日本プロレス横浜アリーナ)馬場&アブドーラ・ザ・ブッチャー組vsアンドレ・ザ・ジャイアント&スタン・ハンセン組(同全日本プロレス後楽園ホール)【正解】特別レフェリー、豊登が名裁き、猪木vs大木金太郎戦調印式【74年新日本プロレス京王プラザホテル】【参考】2015年9月30日発売号は馬場、猪木が同日デビュー、馬場vs桂浜(田中米太郎)、猪木vs大木(60年日本プロレス台東体育館)

【解説】本号の発売日である20年9月30日は日本プロレス界の両巨頭、馬場と猪木のデビュー60周年記念日、ということでこれより30年前の90年のこの日、馬場、猪木がそれぞれデビュー30周年記念興行を開催しています。

先ず新日本プロレスは午後3時より横浜アリーナにて記念興行を開催。当日はゲストとしてルー・テーズ、ジョニー・バレンタイン、ニック・ボックウィンクル、ビル・ロビンソン、タイガー・ジェット・シン、ジョニー・パワーズ、ウィリエム・ルスカ、ヒロ・マツダ、そして全日本プロレスからアンドレ・ザ・ジャイアント、スタン・ハンセンが来場、記念セレモニーが行われ、それにモハメド・アリ、坂口征二、ストロング小林、カール・ゴッチ、バーン・ガニア、ハルク・ホーガン、ボブ・バックランドに猪木を加えた18人により「グレーテスト18クラブ」がテーズを発起人として発足しています。

記念セレモニーではかつてのライバル達が集合、特に東京プロレス旗揚げ戦で対戦した「金髪の妖鬼」バレンタインが飛行機事故の後遺症から不自由な下半身をおしての来日は感動的でした。全日本プロレスに転出したアンドレとハンセンも、夜の後楽園ホール大会の前に来場し花を添えました。

記念試合は猪木が宿敵シンとタッグを組んで、ビッグバン・ベイダー&アニマル浜口組と対戦、特別レフェリーはニック。87年9月の全日本プロレスヘの来日を最後にセレモニーを行うことなくひっそりと引退していたニックは新日本プロレスとは接点がないまま終わるかと思われましたが、渉外担当取締役、マサ齋藤との繋がりで新日本プロレスヘの来日が実現しました。

試合は17分45秒、猪木が延髄斬りからの体固めで破りは、猪木&シン組の勝利となりました。

午後6時30分からは全日本プロレスの後楽園ホール大会で馬場の記念興行が開催されました。大会場でなく後楽園ホールで行われたのは日頃から派手なことを嫌う馬場らしいです。大物ゲストの来日もなく、ファンがリングに上がり、直接馬場にプレゼントを渡せるという企画が行われました。

馬場の記念試合は、これまた宿敵であるアブドーラ・ザ・ブッチャーと組んで新日本プロレスで壮絶なバトルを繰り広げたアンドレ&ハンセン組と激突。奇しくもBIの30周年は、79年8月26日、日本武道館における「プロレス夢のオールスター戦」でタッグを組み、1度は81年の引き抜き抗争で闘うリングをチェンジしたこともあったシンとブッチャーとタッグを組むことになった訳です。

この年の4月13日、東京ドームで行われた「日米レスリング・サミット」で夢の大巨人コンビを組んだ馬場とアンドレは77年6月のハワイ、82年2月のフロリダでのバトルロイヤルで僅かにコンタクトした程度。試合として反対側のコーナーに立つのはこれが初。共に全盛期を過ぎたとは言え、夢の対決でした。

試合はブッチャーのラフファイトに怒った馬場が凶器を取り上げて馬場&ブッチャー組は仲間割れ、10分13秒、アンドレがエルボードロップからの体固めでブッチャーを押さえ込んで、アンドレ&ハンセン組の勝利。

私はこの日の両大会をハシゴ観戦しました。関東地方に台風が上陸、友人の車に同乗していましたが、横浜アリーナから第三京浜を使って水道橋へ。

我々が後楽園ホールに着いた時はセミファイナルの鶴田&田上明組vs三沢光晴&川田利明組の試合中で、45分時間切れ引分け。我々の到着と前後して横アリからのハシゴ組が続々と会場に現れました。セミファイナルの45分ドローはハシゴ組の到着を待っていてくれたかのようでした。馬場のセレモニーは見られませんでしたが、メインイベントは最初から見ることが出来ました。

74年10月10日、蔵前国技館で行われた猪木vs大木金太郎のNWF世界ヘビー級選手権試合。猪木にとっては、3月19日、蔵前でのストロング小林戦に続く大物外敵日本人対決。(大木は韓国人であるが、日本プロレスの力道山門下生で猪木の兄弟子にあたり、日本を主戦場にしていた為、日本人扱い。この日記をお読み頂いてる方々には今更説明不要かと)

前73年4月、日本プロレス崩壊後は力道山家(百田家)の仲介により馬場の全日本プロレスに上がっていた大木でしたが、馬場の扱いに対する不満からか、同年内一杯で全日本プロレスを離れ、韓国に帰っていましたが、翌74年の8月30日、後楽園ホールにおける新日本プロレス「闘魂シリーズ」開幕戦の会場に姿を現し、猪木に挑戦を表明。

9月10日、愛知県体育館ではついに新日本プロレスのリングに足を踏み入れ、猪木にリング上から対戦を要求、シリーズ最終戦の10月10日、蔵前国技館で対戦が決定しました。

猪木vs大木戦の調印式がこの日、京王プラザホテルで行われ、試合は時間無制限1本勝負、両者リングアウトによる決着はなし。特別レフェリーは豊登が務めることになりました。

流さんのコラムの見出しは「豊登の名裁き」ですが、試合ではなく調印式で何が名裁きかと言いますと、記者団の質問の時に普段プロレスを扱わないおそらくどこかの朝刊紙の記者が大木に対し「大木さんはインターナショナル・チャンピオンだが、今回何故インター王座は賭けないのか?もし今回負けたら、どうするつもりですか?」という質問を浴びせました。

東スポ、プロレス誌、ゴングと言った業界とグルの内側のマスコミは先ずそんな質問はしませんが、これに対し豊登が大木に代わって激怒し「そういう質問はレスラーに対して失礼だよ。レスラーは誰もがいつだって勝とうと思ってリングに上がっているんだよ。『負けたらどうする』なんて考える訳ないでしょ」と強い口調で記者をたしなめたとのことです。

猪木もこれを受けて「大木さんも調子がいいみたいだから覚悟を決めて挑戦して来て欲しい。両者リングアウトはないとのことですが20カウントは必要ないでしょう」とコメント。

この豊登の発言がこの時から15年半後の90年2月10日、東京ドームでのテレビ朝日、佐々木正洋アナウンサーに対する「出る前に負けること考えるバカいるかよ!」の張り手事件のヒントになったかどうかは不明です。

いずれにせよ、9月30日の水曜日は5〜6年後、あるいは閏年の関係から11年後位にはもう一度来るかも知れませんがBIのデビュー60周年記念日はこの日一度だけ、にもかかわらずこのネタをスルーするとは…予想が外れたことより、そちらの方にビックリさせられました。

※対戦成績は154戦31勝123敗、勝率201。
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