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日記一覧

84年全日本プロレス「スーパー・パワー・シリーズ」は8月23日後楽園ホールで開幕。同シリーズにはグラン浜田が初の全日本プロレス参戦をしています。前83年8月、新日本プロレスで勃発した社内クーデターで、代表取締役社長の猪木、取締役副社長の坂口征二と

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84年全日本プロレス「グランド・チャンピオン・カーニバルPART�供廚錬儀�18日千葉県流山市総合体育館で開幕。このシリーズは5月6日(現地時間)テキサス州ダラス・テキサススタジアムで行われた故デビッド・フォン・エリック追悼大会でリック・フレアーを

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84年の全日本プロレスは前83年と同様「グランド・チャンピオン・カーニバル」をPART�気�らPART�靴泙燃�催しています。「グランド・チャンピオン・カーニバルPART�機廚錬碍�23日千葉県木更津市倉形スポーツ会館で開幕。マイティ井上はNWAインタ

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84年は日米プロレス界において歴史的分岐点となった年です。日本では新日本プロレスが内部分裂を起こしUWFとジャパンプロレスが誕生、多団体時代ヘの第一歩を踏み出し、アメリカではWWFの全米侵攻がスタート、ローカルテリトリー制ヘの崩壊に繋がってい

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83年暮れの祭典「世界最強タッグ決定リーグ戦」にマイティ井上は全日本プロレス入団3年目にして阿修羅・原とのチームで初エントリーしています。選考基準はアジア・タッグ王者チームだからでしょう。この年は最強タッグの前身である77年「世界オープン・タッ

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テリー・ファンクのリアルファイナルとなる83年全日本プロレス「スーパー・パワー・シリーズ」は8月19日埼玉県越谷市体育館で開幕。このシリーズの序盤は馬場がNWA総会出席とその後ハワイに滞在していた為、途中から出場となりました。大仁田厚の負傷、長

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83年全日本プロレス「グランド・チャンピオン・カーニバルPART�供廚錬儀�12日後楽園ホールで開幕。時期的に新日本プロレスの「IWGP」とバッティング。新日本プロレスが「新しい権威と価値の創造」であるのに対し全日本プロレスは「歴史と伝統」の既存

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マイティ井上入団3年目となった83年の全日本プロレスは1月2日後楽園ホールで開幕の「新春ジャイアント・シリーズ」からスタート。開幕戦では井上は石川敬士(隆士)と組んでミル・マスカラス&ウルトラセブン組と対戦、15分1秒、マスカラスが石川をエビ固め

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西ドイツに渡りハノーバー・グランプリ・トーナメントに参加したマイティ井上の主な試合結果は以下の通りです。会場は西ドイツ・ニーダーザクセン州ハノーバー・シュッツェンプラッツで、ハノーバー・グランプリ・トーナメントは大相撲やサーカスの興行同様、

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82年後半戦、7月2日東京・福生市民体育館で開幕の夏の陣「サマー・アクション・シリーズ」。開幕戦でマイティ井上は全日本プロレス移籍後、初めてテレビ収録でメインイベントに登場。鶴田とのタッグで「夏の風物詩」ミル・マスカラス&ドスカラス組と60分1

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マイティ井上が全日本プロレス内で確固たるポジションを築くことになる「全日ジュニア」の黎明期にあたるのがこの82年。それまでも、74年12月5日日大講堂で鶴田が減量してケン・マンテルのNWA世界ジュニア・ヘビー級王座に挑戦し1−1から引き分け。井上

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前回、運営が杜撰と書きました82年全日本プロレス「第10回チャンピオン・カーニバル」ですが、このことは最終戦の4月16日福岡国際センターのマッチメイクに如実に現れました。この日は「グランド・チャンピオン・シリーズ」の開幕戦を兼ねておりスタン・ハン

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マイティ井上の82年全日本プロレス「第10回チャンピオン・カーニバル」の闘いの模様の続きです。第6戦は3月24日群馬県桐生市民体育館でロッキー羽田と対戦、内臓疾患で中堅グループの中では少しポジションがダウンした羽田。78年11月の「日本リーグ争覇戦」

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全日本プロレスに「中途入社」したマイティ井上、国際プロレスで一度は団体の頂点であるIWA世界ヘビー級王座を獲得したものの、王座転落後は2〜4番手までを推移。マッチメーカーをやっていたグレート草津よりも上の時期もあれば下の時期もあり、2歳年上

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全日本プロレスに入団したマイティ井上は国際プロレス時代に顔合わせしていなかった選手を含め、強豪レスラー達との対戦の機会に恵まれました。前回書きましたミル・マスカラスとのIWA世界ヘビー級選手権試合よりは前になりますが81年「創立10周年記念ジャ

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81年9月17日付(16日発行)の「東京スポーツ」には9月7日に行われた新日本プロレスと国際プロレスの対抗戦の発表記者会見に出席しなかったマイティ井上が取材に応じ、国際プロレスを退団、フリーとなったことを明かし、10月8日蔵前国技館で行われる対抗戦に

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81年国際プロレスの「ダイナマイト・シリーズ」はジプシー・ジョー、カール・ファジー、エル・クルセーロ、ティエラ・ビエント・イ・フエゴが参戦、エース格と目されたトルコ人ギミックのザ・ターク(75、76年7月に新日本プロレスに来日したアリババことオザ

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81年国際プロレスのラストイヤーとなった81年は1月4日、後楽園ホール「新春パイオニア・シリーズ」開幕戦からスタート。このシリーズ、国際プロレスに79年秋から特別レフェリーとして参加していた鉄人ルー・テーズが、かつて保持していたNWA世界ヘビー級

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80年3月31日、国際プロレスの後楽園ホールで行なわれたIWA世界タッグ選手権試合、マイティ井上&アニマル浜口組に新日本プロレスの木村健吾&永源遙組が挑戦した一戦で浜口は木村健のプランチャを受けて場外で後頭部を強打。試合は井上&浜口組の反則勝ち

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国際プロレスの80年は1月4日新潟市体育館で開幕の「新春パイオニア・シリーズ」からスタート、新日本プロレスの常連だったキラー・カール・クラップをエースにジプシー・ジョー他が参戦。同シリーズにダイナマイト・キッドの再来日が発表されましたが、新日

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79年8月26日日本武道館では東京スポーツ新聞社創立20周年事業「プロレス夢のオールスター戦」が開催され新日本プロレス、全日本プロレス、国際プロレスの3団体が参加。16,500人超満員発表の観衆を動員しています。メインイベントでは馬場と猪木が7年8か月

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79年2月23日新日本プロレス千葉公園体育館で星野勘太郎&山本小鉄組のヤマハ・ブラザーズを反則含みながら2−1で破りアニマル浜口との「和製ハイフライヤーズ」、「ナニワ・ブラザーズ」でIWA世界タッグ王座を獲得したマイティ井上。前78年2月22日岐阜

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79年に入ると国際プロレスは新日本プロレスとの提携路線に入りました。原進改め阿修羅・原の凱旋帰国シリーズとなった「新春パイオニア・シリーズ」は1月5日宮崎県高千穂町体育館から開幕しましたが初のこの年初の東京大会は1月21日、午後1時よりの後楽園

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78年11月17日新日本プロレス「プレ日本選手権」開幕戦の後楽園ホールでストロング小林が記者会見を行いシリーズ開催中である国際プロレスの「日本リーグ争覇戦」の11月25日蔵前国技館大会に出場表明をしています。11月19日付(18日発行)の「東京スポーツ」より

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アジア・タッグ王座から転落して無冠になったマイティ井上は今度はラッシャー木村のIWA世界ヘビー級王座に照準を定めました。78年4月6日新潟県五泉市民会館で開幕の「スーパー・ファイト・シリーズ」のエース外国人はジプシー・ジョーで5月1日富士市吉

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前年11月の国際プロレスとの「全軍対抗戦」に続き、78年2月18日蔵前国技館、2月21日大阪府立体育会館、2月22日岐阜市民センターの3大会にわたり、国際プロレスと韓国の金一道場を加えての「日・韓全軍激突戦」の開催が決定。マイティ井上は白のスーツ姿で

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全日本プロレスとの「全軍対抗戦」を終えた翌日の12月2日には後楽園ホールで全日本プロレスのタッグの祭典「世界オープン・タッグ選手権」が開幕。国際プロレスからはラッシャー木村&グレート草津組、マイティ井上はアジア・タッグ王者チームのパートナーで

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マイティ井上は77年4月からカナダ・カルガリーに遠征、9月4日後楽園ホールで開幕の「スーパー・ファイト・シリーズ」に凱旋帰国しました。カルガリーではバーン・ガニアと30分フルタイム・ドローの死闘を展開。自信をつけての凱旋帰国でした。また、同時期

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77年1月4日東京・日野市多摩健康増進センターでグレート草津&マイティ井上組は前年6月に一度はベルトを奪われたリップ・タイラー&エディ・サリバン組を2−1で破り、IWA世界タッグ王座7度目の防衛に成功、幸先の良いスタートを切りましたが…。2月

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全日本プロレスの「オープン選手権」に主力選手が出場、対抗戦などはありましたが自団体での話題に乏しかった国際プロレスにとって「まだら狼」上田馬之助の来襲は刺激的なトピックスでした。上田のフリー日本逆上陸第1戦は76年5月23日「ビッグ・チャレンジ

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