新日本プロレスの「第2回ワールド・リーグ戦」、全日本プロレスの「第3回チャンピオン・カーニバル」が春の祭典で真っ向勝負していた一方、マイナー団体化してしまったストロング小林の古巣である国際プロレスでも団体の大きな動きがありました。75年2月2
75年新日本プロレス「第2回ワールド・リーグ戦」は外国人選手が弱体でしたが、猪木、坂口征二、ストロング小林、大木金太郎の日本人4強に、キラー・カール・クラップを入れた5人の争いで終盤大きな盛り上がりを見せました。逆に予定通り「カナダの荒法師」
75年新日本プロレス「第2回ワールド・リーグ戦」総評の続きです。単独第8位は8勝7敗、8点の山本小鉄。小鉄は前「ビッグ・ファイト・シリーズ」は4大会しか試合に出ておらず、謎の欠場はありましたが、今リーグ戦は見事に復調。4月24日、松山市愛媛県民
75年新日本プロレス「第2回ワールド・リーグ戦」は猪木の大逆転2連覇でその幕を閉じましたが、最後の最後まで読めない優勝争いを展開し、大きな盛り上がりを見せました。ストロング小林は15戦11勝1敗3分の12.5点で猪木、坂口征二、大木金太郎と並ぶ同点2
75年新日本プロレス「第2回ワールド・リーグ戦」最終戦5月16日、日大講堂(テレビ生中継、観衆8,500人超満員発表)大会。いよいよ優勝決定戦です。公式戦同点2位の12.5点に猪木、坂口征二、ストロング小林、大木金太郎の4人が並び、4者による決勝進出者決
75年新日本プロレス「第2回ワールド・リーグ戦」第35戦、5月15日、大阪府立体育会館(観衆8,500人超満員発表)大会公式最終日。残念ながらこの日もノーテレビでした。優勝決定戦への進出者を決める大事な公式戦が3試合組まれました。まず、14戦12勝1敗1分
7週間に亘り激闘を展開した75年新日本プロレス「第2回ワールド・リーグ戦」もいよいよ大詰め。優勝争いに向けて最後のデッドヒートレースが展開されています。終盤戦になると公式戦日程の消化も進み、1大会あたりの公式戦の数も減少していきました。九州、
75年新日本プロレス「第2回ワールド・リーグ戦」も残すところあと1週間、5月16日、日大講堂における優勝決定戦に向けて連日激闘が展開されています。第30戦、5月9日、香川県高松市民文化センター(テレビ生中継、観衆4,600人超満員発表)大会。テレビ生中
75年新日本プロレス「第2回ワールド・リーグ戦」、九州ツアーは4月26日の大分県中津市片津公園特設リングから5月5日、福岡スポーツセンターまで10日間に亘る長期サーキットでしたが、ストロング小林のエース時代の国際プロレスを放映していたTBS系ネッ
75年新日本プロレス「第2回ワールド・リーグ戦」も終盤戦に入って来ました。第24戦、5月3日、北九州市小倉区三萩野体育館(観衆4,500人超満員発表)大会。ストロング小林はセミファイナルで最初で最後となった大木金太郎との注目の公式戦。初のシングル対決
75年新日本プロレス「第2回ワールド・リーグ戦」も後半戦に突入。第18戦、4月26日、大分県中津市片津公園特設リング(観衆4,300人超満員発表)大会、ストロング小林は4月19日、和歌山県立体育館大会に次いでこのシリーズを最後に海外武者修行に出発する藤波
75年新日本プロレス「第2回ワールド・リーグ戦」中盤戦のストロング小林の激闘の模様です。第13戦、4月19日、和歌山県立体育館(観衆4,500人発表)大会でまたまた興味深い組み合わせが実現。前74年12月に若手の登竜門であるカール・ゴッチ杯争奪リーグ戦に優
75年新日本プロレス「第2回ワールド・リーグ戦」第8戦は4月12日、茨城県日立市池の川中央体育館(観衆4,700人超満員発表)大会ではストロング小林は、柴田勝久と公式戦で対戦、11分23秒、カナディアン・バックブリーカーでギブアップ勝ちを収めて3勝1分。
75年新日本プロレス「第2回ワールド・リーグ戦」は日本プロレス史に残る面白いリーグ戦でしたが、総当たりリーグ戦で行われているだけに、その日公式戦の組まれていない選手同士による通常のシリーズでは見られない珍しい試合が沢山組まれています。「第2回
75年新日本プロレス春の本場所「第2回ワールド・リーグ戦」は4月4日、蔵前国技館(テレビ生中継、観衆8,500人発表)で開幕。先の「ビッグ・ファイト・シリーズ」最終戦の蔵前国技館大会が3月20日ですから僅か2週間間隔での蔵前大会開催で満員には届きませ
75年新日本プロレス「ビッグ・ファイト・シリーズ」最終戦、3月20日、蔵前国技館(観衆10,500人満員発表)大会。波瀾万丈のシリーズもついにファイナルを迎えました。メインイベントはNWF世界ヘビー級選手権試合、3月13日、広島県立体育館における王座決定
既にベルトを返上して前王者になっていたとは言え、猪木がタイガー・ジェット・シンにフォール負けしNWF世界ヘビー級王座を奪われてしまったのは当時としては大変衝撃的なニュースでした。75年新日本プロレス「ビッグ・ファイト・シリーズ」終盤戦の模様で
75年新日本プロレス「ビッグ・ファイト・シリーズ」、横浜文化体育館の翌3月8日、北九州市総合体育館から短期の九州ツアーを行っています。3月9日の日曜日には福岡県内で昼夜ダブルヘッダー興行が行われています。初期の新日本プロレスは営業も強気で売り
75年新日本プロレス「ビッグ・ファイト・シリーズ」2月25日は仙台・宮城県スポーツセンター(観衆8,800人超満員発表)大会。水増しはあったにせよいずれにしても凄い入りでした。一つは言うまでもなくタイガー・ジェット・シンのヒール人気。新日本プロレスの
75年次期「ビッグ・ファイト・シリーズ」に殴り込みを予告しているタイガー・ジェット・シンをNWF本部は猪木のNWF世界ヘビー級王座への挑戦者に指名。しかし猪木は「シンとはもう決着はついている。あのダーティファイトは挑戦者としての資格に欠ける。
75年新日本プロレス「新春黄金シリーズ」終盤戦、このシリーズでのブルート・バーナードとストロング小林の対戦は1度だけあり、2月1日、愛知県常滑市体育館(観衆4,000人満員発表)のメインイベント、坂口征二&S小林組vsバーナード&コーリン・ジョイソン
スカル・マーフィは70年3月23日、遠征先のノースカロライナ州シャーロッテで心臓発作により39歳の若さで急死、しかし、マーフィは生前、全身無毛の自分の容姿に深い悩みを抱えていたと言われ、(日本では子供の頃に猩紅熱に罹り全身の毛が抜けてしまったと言
75年「新春黄金シリーズ」終盤戦、1月31日、岡山武道館(テレビ生中継、観衆5,200人超満員発表)大会。この日から「狂える野獣」ブルート・バーナードが特別参加、新日本プロレスへは初参戦を果たしています。バーナードと言えばスキンヘッドで唸り声を上げ、
75年新日本プロレス「新春黄金シリーズ」、1月8日、前橋市群馬県スポーツセンター(観衆4,600人超満員発表)大会。前日の長野大会よりフリーの立場で特別参加したストロング小林は、この日坂口征二と初の「パワーファイターズ」を結成し、メインイベントでカ
75年新日本プロレス「新春黄金シリーズ」開幕戦の1月3日、埼玉県越谷市体育館大会は金曜日、正月三が日ということで午後2時試合開始。当日の午後8時よりNET「ワールドプロレスリング」でディレイ録画中継。前々回の(117)で書いた通り、ストロング小林
(前回の続き)ー「新日本プロレスのリングに上がるのは、今度の『新春黄金シリーズ』だけですか?次のシリーズの予定は?」小林「一応、契約は今度のシリーズだけで、次のシリーズは未定なんです。それはまたその時点で決めます。ですが、その次、3月末か4月
前74年に一気に大躍進を遂げた新日本プロレスの75年「新春黄金シリーズ」は1月3日、埼玉県越谷市体育館(テレビ収録、観衆3,200人満員発表)で開幕。前74年の同シリーズに初来日、他局のバラエティー番組にも出演し話題を振りまいた「2人合わせて600kg」の巨
元国際プロレスのエースであり、団体のフラッグシップタイトルであるIWA世界ヘビー級王座を転落する(誰かに負けてベルトを置いていく)ことなくフリーとなったストロング小林を2度に亘って破り、73年4月に興行活動を休止した日本プロレスの最後のエースで
まず、本文に先立ち、本日5月3日は雑誌「ゴング」編集長だった竹内宏介さんの没後10年の御命日にあたります。改めて故人の生前における数々の日本プロレス界に与えた功績を讃え、謹んで哀悼の意を表します。さて、前回の74年12月12日、新日本プロレス蔵前国
74年12月12日、新日本プロレス蔵前国技館で行われた猪木vsストロング小林のNWF世界ヘビー級選手権試合、勝って8度目の同王座防衛に成功した猪木との一問一答形式インタビューです。ー「小林は3月の時に比べてどうだったですか?」猪木「うーん…ガッツが