スーパースター・ビリー・グラハムを破りIWA世界ヘビー級王者となったマイティ井上は、当時国際プロレスというか、日本プロレス界でも誰も着用していなかったサイケデリックな柄のショートタイツを着用、話題を集めています。74年11月4日後楽園ホールでは
昨日2024年11月28日、国際プロレス、全日本プロレスのリングで活躍したマイティ井上(本名・井上末雄)さんが11月27日午前9時59分、心室細動の為神戸市の病院で亡くなられたとの訃報が入ってきました。享年75歳。ご冥福をお祈り申し上げます。井上さんは1949年
88年全日本プロレス「サマー・アクション・シリーズ」7月27日長野大会でのスタン・ハンセン戦で追ったダメージから、7月29日の高崎大会を欠場した「無冠」になってしまった天龍源一郎ですが、第22戦の7月30日岩手県久慈市民体育館(観衆1,650人発表)大会に
88年全日本プロレス「サマー・アクション・シリーズ」7月27日長野市民体育館で行われた天龍源一郎とスタン・ハンセンのPWFヘビー級、UNヘビー級の二冠選手権試合は壮絶な死闘となり、ハンセンがリングアウト勝ちし二冠王座を獲得しました。この一戦は88
88年全日本プロレス「サマー・アクション・シリーズ」第20戦、7月27日長野市民体育館(テレビ収録、観衆2,900人発表)大会。メインイベントは天龍源一郎のPWFヘビー級、UNヘビー級の二冠王座に前同王者のスタン・ハンセンが挑戦た60分1本勝負。3月9日
88年全日本プロレス「サマー・ファイト・シリーズ」も終盤戦に突入。第19戦は7月26日金沢・石川県産業展示館(テレビ収録、観衆3,850人満員発表)大会。メインイベントは鶴田と準地元・石川県七尾市出身の輪島大士がタッグを結成、手負いの龍原砲、天龍源一郎
87年全日本プロレス「サマー・アクション・シリーズ」第14戦、7月19日後楽園ホール(テレビ収録、観衆2,350人超満員発表)大会。この日、会場の入口には7月16日(現地時間)プエルトリコ・バイヤモン球技場のシャワールームでホセ・ゴンザレスに刺され、翌17日
88年7月16日(現地時間)プエルトリコ・バイヤモン球場のシャワールームでブルーザー・ブロディが刺されるという衝撃的な事件が発生しています。86年11月の新日本プロレス「ジャパンカップ争奪タッグ・リーグ戦」で2度目のボイコット、来日キャンセルをしたブ
88年全日本プロレス「サマー・アクション・シリーズ」7月5日の小浜大会で左眼の横に大きな裂傷を負った阿修羅・原は13針を縫う重傷で全治3週間と診断され、翌6日から欠場、8日の萩でのテレビマッチも出られませんでしたが、第7戦の7月9日佐賀スポーツ
第6戦、7月8日山口県萩市民体育館(テレビ収録、観衆2,350人発表)大会。メインイベントは鶴田&輪島大士組がスタン・ハンセン&テリー・ゴディ組と対戦したタッグマッチ60分1本勝負。世界タッグ王座のベルトを狙うハンセン&ゴディ組は輪島を集中攻撃。強
88年全日本プロレス「サマー・アクション・シリーズ」第3戦は7月5日、福井県小浜市民体育館(観衆1,750人発表)大会。メインイベントは天龍源一郎&阿修羅・原&サムソン冬木組の天龍同盟とスタン・ハンセン&テリー・ゴディ&ミッチ・スノー組が対戦した6
88年全日本プロレス夏の陣「サマー・アクション・シリーズ」開幕戦は7月2日後楽園ホール(テレビ収録、観衆2,200人満員発表)大会。メインイベントは初代世界タッグ王者チーム、鶴田&谷津嘉章組の五輪コンビがテリー・ゴディ&レオ・バーク組と対戦したタッ
88年全日本プロレス「サマー・アクション・シリーズ」は7月2日後楽園ホールで開幕。スタン・ハンセン、テリー・ゴディ、ザ・デストロイヤー、シーク・アリ、レオ・バーク、デビッド・サンマルチノ、ミッチ・スノーの外国人レスラーが参加。ハンセン&ゴディ
88年新日本プロレス「IWGPチャンピオン・シリーズ」第27戦、6月23日横浜文化体育館(観衆3,940人発表)大会。メインイベントは新IWGPタッグ王者チームとなったマサ齋藤&長州力組が「スーパー・バイオレンス・コンビ」ディック・マードック&アドリア
88年新日本プロレス「IWGPチャンピオン・シリーズ」第16戦、6月10日広島県立体育館(テレビ収録、観衆5,180人満員発表)大会。メインイベントは藤波辰巳&木村健吾組のIWGPタッグ王座にマサ齋藤&長州力組の旧ジャパン最強チームが挑戦した60分1本勝
新日本プロレスとの興行戦争ですが、新日本プロレスは全日本プロレスから遅れること6日後の5月20日、後楽園ホールで「IWGPチャンピオン・シリーズ」を開幕させています。 前87年6月12日両国国技館での「IWGPチャンピオン・シリーズ」優勝決定戦で
88年全日本プロレス「スーパー・パワー・シリーズ」最終戦、6月10日日本武道館(テレビ収録、観衆11,800人満員発表)大会。私はこの興行は観戦しに行きました。メインイベントはインターナショナル・タッグ王者チーム、アニマル&ホークのザ・ロード・ウォリア
88年全日本プロレス「スーパー・パワー・シリーズ」第21戦、6月9日群馬県桐生市民体育館(テレビ収録、観衆3,100人満員発表)大会。この日と翌日の最終戦、6月10日日本武道館大会の2戦のみインターナショナル・タッグ王者チームであるアニマル&ホークのザ
88年全日本プロレス「スーパー・パワー・シリーズ」第17戦、6月4日札幌中島体育センター(テレビ収録、観衆4,400人満員発表)大会。1週間後の6月11日の同じ土曜日には同所で5月12日に後楽園ホールで「チケットが15分で完売した」旗揚げ戦を開催した前田日
88年全日本プロレス「スーパー・パワー・シリーズ」第15戦、6月2日北海道美唄市総合体育館(テレビ収録、観衆2,700人超満員発表)大会。龍原砲と五輪コンビのタッグ頂上決戦を直前に控え、両軍がそれぞれ前哨戦を行いました。メインイベントでは五輪コンビの
本連載は2021年12月31日で中断しておりおよそ3年ぶりの再開となりますので、直近の日記のリンクを貼らせて頂きました。よろしければこちらをご一読頂いてから本編をお読み下さい。https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1981229075&owner_id=2125865088年全日本
ストロング金剛としての芸能活動は以下の通りになります。映画1982年伊賀忍法帖1983年伊賀野カバ丸 探偵物語1985年野蛮人のように1987年塀の中の懲りない面々1988年ひいふうみぃどくだみ荘ファイルファイトテレビドラマ1982年銭形平次寛永御前試合Gメン82
84年8月26日新日本プロレス「ブラディ・ファイト・シリーズ」第3戦福生市民体育館でストロング小林の引退記念興行を行っています。S小林は1940年12月25日東京都文京区出生の青梅市育ち。青梅農林高校時代は野球部で活躍、高校卒業後は国鉄に入社し稲城駅の
84年新日本プロレス「ブラディ・ファイト・シリーズ」第3戦、8月26日に地元福生市民体育館で引退式が決定したストロング小林でしたが、8月22日付(21日発行)の「東京スポーツ」3面に特集記事が出ていますので、引用してみたいと思います。タイトルは「笑顔
「キン肉マン」はゆでたまご作の漫画で79年より週刊少年ジャンプで連載開始され、83年からは日本テレビ系列でアニメ番組として放送されました。ヒーローものに加えて作者が大のプロレス、格闘技ファンであったことからプロレスカラーも強い作品で登場キャラク
84年「ブラディ・ファイト・シリーズ」は8月24日、後楽園ホールで開幕。ロジャー・スミス、デューク・マイヤース、トニー・セントクレアー、スコット・フェリス、ジェリー・モローの外国人選手がシリーズ全戦参加。シリーズ序盤戦(8月24日後楽園ホール〜9
84年「サマー・ファイト・シリーズ」が終わると猪木以下新日本プロレス勢はパキスタン遠征を行いました。猪木のパキスタン遠征はこれが3度目。初回は76年12月、地元最強と言われたボル・ブラザーズ(ボロという表記もあり)のアクラム・ペールワンと12月12日、
84年新日本プロレス「サマー・ファイト・シリーズ」終盤戦、7月28日松戸市運動公園体育館はテレビマッチ、最終戦の8月2日蔵前国技館の後に放送される試合の収録でした。メインイベントは猪木&藤波辰巳組の師弟タッグがデビッド・シュルツ&バッドニュース
84年7月24日後楽園ホールでUWF「無限大記念日」2日目が開催され初日に続いて3,000人超満員発表の観客を動員しました。初日とはカード編成を変えて日本人vs外国人の対戦を中心に持って来ました。第1試合は山崎一夫がエル・ファンタスマと対戦、前夜に続
MSGへ猪木が出向いた目的はもう一つ、84年6月14日蔵前国技館でのIWGP優勝決定戦で不透明決着に終わったハルク・ホーガンとの再戦をビンス・マクマホンと交渉する為でした。ホーガンは次期「ブラディ・ファイト・シリーズ」に特別参加(9月4日〜20日)