全日本プロレス87年「創立15周年記念チャンピオン・カーニバル」4月7日大田区体育館(テレビ収録、観衆3,100人発表)大会。平日火曜日開催の大田区で、かなり厳しい状況でしたが、私は仕事を早く終わらせて途中から生観戦することが出来ました。メインイベン
全日本プロレス87年「創立15周年記念チャンピオン・カーニバル」4月5日日曜日の後楽園ホール大会昼興行。(テレビ収録、観衆2,800人満員発表)大会。私はこのこの興行は会場で生観戦しています。メインイベントはドリー・ファンク・ジュニア&輪島大士組の日
全日本プロレス87年「創立15周年記念チャンピオン・カーニバル」4月2日大阪府立体育会館(テレビ収録、観衆4,100人発表)大会。この興行はジャパンプロレスへの売り興行。老朽化の為、85年3月の大相撲春場所を最後に一旦閉館、同じ難波に2年ぶりに改築、リ
長州力、小林邦昭らが出場をボイコットした全日本プロレス87年3月28日後楽園ホールでの「創立15周年記念チャンピオン・カーニバル」開幕戦が土曜日であり翌日から全日本プロレスと全日本残留を決めたジャパンプロレス勢は北陸巡業に出ましたが、週明けの3月
全日本プロレス87年「創立15周年記念チャンピオン・カーニバル」開幕戦、3月28日後楽園ホール(テレビ生中継、観衆2,600人満員発表)大会。テレビ生中継とあって、試合開始は午後6時。私はこの興行は会場で生観戦しています。前回書いた通り、長州力以下半数
87年3月25日長州力がマサ齋藤の代理人として大阪のホテル南海で行われた「INOKI闘魂LIVEパート2」の前夜祭及び調印式に姿を現すこと2日前の3月23日、午後1時から世田谷区池尻大橋のジャパンプロレス本社で長州力社長と大塚直樹取締役副会長が記
長州力から「ジャパンプロレスを捨てて選手達だけで新日本プロレスに戻ろう」と説得された谷津嘉章でしたが、この頃には既に永源遙の説得を受け入れ、全日本プロレスに残留することを決意していました。谷津は新日本プロレス時代の83年10月に維新軍団入りして
風邪と右手首のガングリオンを理由に2月20日、後楽園ホールで開幕の「エキサイト・シリーズ」を欠場していた長州力は婚約者であった河野英子さんと共に長野県の伊香保温泉に雲隠れしていたことは前に書いた通りです。当時、週刊ファイトに所属していた金沢克
87年「創立15周年記念エキサイト・シリーズ」最終戦、3月12日日本武道館(テレビ収録、観衆12,900人満員発表)大会。長州力が出場しない日本武道館大会でしたが、何とか満員発表の観客を動員。平日の木曜日開催興行でしたが私は何とか早く仕事を終わらせて、途
全日本プロレス87年「創立15周年記念エキサイト・シリーズ」もいよいよ大詰め、3月10日福島県郡山市総合体育館(テレビ収録、観衆4,100人発表)大会。メインイベントはNWA世界ヘビー級選手権試合、王者リック・フレアーにジャンボ鶴田が挑戦。鶴田のNWA
全日本プロレス87年「創立15周年記念エキサイト・シリーズ」3月9日群馬県高崎市中央体育館(観衆3,300人満員発表)大会。メインイベントは全日本対国際血盟軍6人タッグマッチ、ジャイアント馬場&天龍源一郎&輪島大士組とラッシャー木村&阿修羅・原&鶴見
全日本プロレス87年「創立15周年記念エキサイト・シリーズ」、3月7日秋田県立体育館(テレビ生中継、観衆4,200人発表)大会。メインイベントはリック・フレアーの保持するNWA世界ヘビー級王座にジャパンプロレスを代表して谷津嘉章が初挑戦。フレアーが得
全日本プロレス87年「創立15周年記念エキサイト・シリーズ」3月6日岩手県水沢市(現在の奥州市)文化体育館(観衆3,550人超満員発表)大会。メインイベントは全日本対国際血盟軍6人タッグマッチ、ジャイアント馬場&輪島大士&タイガーマスク組とラッシャー木
全日本プロレス87年「創立15周年記念エキサイト・シリーズ」2月24日長野県上田市民体育館(テレビ収録、観衆3,450人超満員発表)大会。メインイベントはアニマル&ホークのザ・ロード・ウォリアーズが長州力の欠場でジャパンプロレスの砦となった谷津嘉章& ア
全日本プロレス87年「創立15周年記念エキサイト・シリーズ」開幕戦、2月20日、後楽園ホール (テレビ収録、観衆3,200人超満員)大会。平日金曜日の開催でしたが、ウォリアーズ人気で超満員の観衆が集まりました。私は仕事でしたが、途中から会場ヘ行き、生観
全日本プロレス87年「創立15周年記念エキサイト・シリーズ」は2月20日、後楽園ホールで開幕。「エキサイト・シリーズ」は3週間の比較的短期のシリーズですが、短期とはいえ、アニマル&ホークのザ・ロード・ウォリアーズ(マネージャー・ポール・エラリング)
全日本プロレス87年「創立15周年記念新春ジャイアント・シリーズ」最終戦、2月5日札幌中島体育センター(テレビ収録、観衆6,200人超満員発表)大会。ジャパンプロレス提携前の84年までは新日本プロレスの恒例だった「札幌雪まつり興行」を全日本プロレスが「
全日本プロレス87年「創立15周年新春ジャイアント・シリーズ」2月3日北海道・夕張市総合体育館(テレビ収録、観衆3,100人超満員発表)大会。メインイベントは天龍源一郎と輪島大士が2人だけのタッグチームを結成、タイガー・ジェット・シン& ア・シーク組と
全日本プロレス87年「創立15周年記念新春ジャイアント・シリーズ」終盤戦のヤマ、1月31日青森県八戸市体育館(テレビ生中継、観衆5,200人超満員発表)大会。大阪城ホールのような大会場を除いた通常の地方興行では間違いなく今シリーズ一番の入りとなりました
全日本プロレス87年「創立15周年記念新春ジャイアント・シリーズ」1月25日日曜日昼興行の後楽園ホール(観衆3200人超満員発表)大会。私は前日の横浜文化体育館に続き、この興行も生観戦しています。この日はジャパンプロレスへの売り興行でした。メインイベン
全日本プロレス87年1月17日徳山市体育館での長州力の「藤波(辰巳)と闘いたい」(正確には藤波「とも」の意であり、ジャンボ鶴田、天龍源一郎ら全日本プロレス所属選手の中に藤波の名前を入れていたに過ぎず、そのあたりは日本テレビ、全日本プロレスに一応は
全日本プロレス87年「創立15周年記念新春ジャイアント・シリーズ」1月17日山口県徳山市(現在の周南市)体育館 (テレビ生中継、観衆3,400人超満員発表)大会。メインイベントはPWFヘビー級選手権試合、王者長州力にカート・ヘニングが挑戦。8分18秒、長州
全日本プロレス87年「創立15周年記念新春ジャイアント・シリーズ」1月12日福岡県北九州市西日本総合展示場(観衆2,250人発表)大会。1月の同会場での興行は、ジャパンプロレス勢が乗り込んで来てからの85年以降は3年連続開催、85年1月10日(録画)、86年1月1
全日本プロレス87年「創立15周年記念新春ジャイアント・シリーズ」第8戦、1月10日大阪城ホール(テレビ生中継、観衆9,100人発表)大会。前86年は3回の同会場大会を開催、3月4日(長州力&谷津嘉章組vsジャンボ鶴田&天龍源一郎組のインターナショナル・タッ
84年9月、「一枚岩」を誓って新日本プロレスから長州力以下13人のレスラー、レフェリーを引き抜き、全日本プロレスに参戦を表明した新日本プロレス興行(ジャパンプロレス)でしたが、年月が経つにつれ、やはり、そうはいかなくなって来るのがプロレスラーの世
全日本プロレス87年「創立15周年記念新春ジャイアント・シリーズ」、1月8日神奈川県川崎市体育館(観衆3,100人発表)大会。メインイベントは全日本対ジャパン軍団抗争頂上決戦6人タッグマッチ、ジャンボ鶴田&天龍源一郎&石川敬士組と長州力&谷津嘉章&ア
全日本プロレス87年「創立15周年記念新春ジャイアント・シリーズ」第2戦、1月3日後楽園ホール(観衆3,000人超満員発表)大会昼興行。メインイベントは全日本対ジャパン軍団抗争6人タッグマッチ、ジャンボ鶴田&天龍源一郎&タイガーマスク組と長州力&谷津
全日本プロレス87年「創立15周年記念新春ジャイアント・シリーズ」開幕戦、1月2日後楽園ホール(テレビ収録、観衆3,300人超満員発表)大会。なお、この年の後楽園ホール開幕2連戦昼興行は1月2、3日両日ともに新日本プロレスが「ニューイヤー・ダッシュ87
87年「創立15周年記念新春ジャイアント・シリーズ」は恒例の1月2、3日の後楽園ホール昼興行で開幕。ジャパンプロレス勢参戦以後の85年は1月2、3、4日、86年は1月1、2、3日と後楽園ホール3連戦が行なわれましたが、3年ぶりに2連戦となり、同じく
86年の東京スポーツ新聞社制定「プロレス大賞」は最優秀選手賞(MVP)を天龍源一郎が初受賞。2月5日札幌中島体育センターでインターナショナル・タッグ王座から転落しましたが、ケジメをつける為にUNヘビー級王座をも返上、完全に無冠になりましたが、3