14年2度目の横浜文化体育館大会、前年は11月4日の連休に開催されましたが2年ぶりに年末12月21日、日曜日に「BIG JAPAN DEATH VEGAS」(観衆2,148人満員発表)として行われています。この年の横浜文体大会は2度とも満員になりました。メインイベントはBJW
2014年に突入、大日本プロレス同年初の横浜文化体育館大会「Endless Survivor」は5年連続となるゴールデンウィーク興行として5月5日に開催されています。前13年は満員に出来なかった横浜文体大会でしたが、この時は2,080人満員発表と2,000人台に回復、満員
13年2度目の大日本プロレス横浜文化体育館大会は年末ではなく11月4日月曜日振替休日に「BIG JAPAN DEATH VEGAS」(観衆1,329人発表)として開催されました。この年は2回共に横浜文体を満員には出来ず…。メインイベントはBJW認定デスマッチ・ヘビー級選手
大日本プロレス13年初の横浜文化体育館大会は4年連続でのゴールデンウィーク開催、5月5日に「Endless Survivor」(観衆1,442人発表)として行われています。この日も前年末、12年12月9日の横浜文体大会と同様、トリプルメインイベントが組まれていますが、
大日本プロレス12年、年末の横浜文化体育館大会は12月9日日曜日、「BIG JAPAN DEATH VEGAS」(観衆1,782人発表)として開催されました。当日は年末のビッグマッチらしくトリプル・メインイベントが行われています。トリプルメインイベント第3試合、BJW認定
大日本プロレス2012年初の横浜文化体育館大会は3年連続ゴールデンウィークの開催となる5月5日、「Endless Survivor」(観衆1,650人発表)として開催されました。メインイベントはBJW認定デスマッチ・ヘビー級選手権試合、前年末の横浜文体大会で「絶対王
11年大日本プロレス2度目の横浜文化体育館大会は12月18日、日曜日「BIG JAPAN DEATH VEGAS」(観衆2,383人発表)として開催されました。前回の5月5日より1,000人位観客は増加。東日本大震災ショックから少しずつマインドが回復してきた感じでした。メインイ
東日本大震災が発生した年である11年の大日本プロレス初の横浜文化体育館大会は2年連続のゴールデン・ウィーク開催、5月5日に「Endless Survivor」(観衆1,338人発表)として行われました。震災は関東地方でも大きな揺れがあり、余震や計画停電などが4月に
15周年記念イヤーとなった大日本プロレス10年2度目の横浜文化体育館大会は12月19日日曜日、「BIG JAPAN DEATH VEGAS」(観衆2,952人満員発表)として開催され、トリプル・メインイベント3大デスマッチが行われています。トリプル・メインイベント第3試合、B
10年は大日本プロレス創立15周年記念イヤー、ということで5月4日のゴールデンウィークに横浜文化体育館大会を開催。記念大会「DEATH&Crazy That's the way of The BJ-World」(観衆3,354人満員発表)が行われています。当日はダブル・メインイベントとして開
09年10月26日、大日本プロレス後楽園ホール大会で「デスマッチクライマックスシリーズ」と題した宮本裕向(666)&木高イサミ(ユニオンプロレス)の「ヤンキー二丁拳銃」組と伊東竜二&佐々木貴(FREEDOMS)組と葛西純(FREEDOMS)&「黒天使」沼澤邪鬼組の「045邪猿
シャドウWXを破りBJW認定デスマッチ・ヘビー級王者となった宮本裕向(666)でしたが、やはり大日本プロレス・デスマッチ戦線の歴戦のツワモノ達の間に入ってしまうと線が細く、体格的にも一回り以上小さいと言うのは否めませんでした。09年の新春興行、1
08年2度目の大日本プロレス横浜文化体育館大会は年度最終戦、12月19日、金曜日「横浜大戦2008」(観衆2,400人発表)として行われました。メインイベントはシャドウWXの保持するBJW認定デスマッチ・ヘビー級王座に宮本裕向(666)が挑戦、試合形式は有刺鉄線
08年の大日本プロレスは新春の1月6日、埼玉県越谷市・桂スタジオで前年暮れ、12月14日横浜文化体育館で「黒天使」沼澤邪鬼を破りBJW認定デスマッチ・ヘビー級王座を奪回した伊藤竜二が、外国人デスマッチファイターとして頭角を現して来たMASADAと
伊東竜二に勝利を収め、BJW認定デスマッチ・ヘビー級王座を防衛した佐々木貴(アパッチプロレス軍)でしたが、07年8月26日、ディファ有明で行われたインディー団体によるオールスター戦、「プロレスサミット」で蛍光灯デスマッチで「黒天使」沼澤邪鬼の挑戦
07年の大日本プロレスはエースである「デスマッチ・ドラゴン」伊東竜二欠場中でスタート。他団体であるアパッチプロレス軍所属ながらBJW認定デスマッチ・ヘビー級王者となった佐々木貴が大日本のデスマッチ路線を牽引していきました。3月14日、後楽園ホー
大日本プロレス06年2度目の横浜文化体育館大会は12月3日単発興行「大日本プロレス横浜文化体育館大会」(観衆3,500人満員発表)として行われました。9月10日の同所での興行で佐々木貴を破りBJW認定デスマッチ・ヘビー級王座返り咲きを果たしたデスマッチ
06年の大日本プロレスは1月27日、5月26日と横浜文化体育館の近隣である川崎市体育館で興行を開催しましたが、川崎市体育館はリングを2つ設置したダブルリングデスマッチや建築現場デスマッチなど広いフロアを有効に使った試合形式をメインイベントでは多用
05年の大日本プロレスは2度の横浜文化体育館大会を開催、2度めは年度最終戦となる12月21日、「大日大戦05」最終戦(観衆3,500人満員発表)として行われました。水曜日平日開催であり観客動員はまずまずと言ったところ。メインイベントはBJW認定デスマッチ
創立10年を迎えた大日本プロレスの05年は、02年に大日本を離れ、ZERO1に移籍した「狂猿」葛西純が伊東竜二の呼び掛けに応える形で約3年ぶりに大日本のリングに復帰。とは言っても所属レスラーとしてではなく、アパッチプロレス軍の一員としての参戦でした。
大日本プロレスの04年は、02、03年の2年間は3月、8月、12月と年3回横浜文化体育館大会を開催して来ましたが、3月8日と8月15日には近隣の川崎市体育館でビッグマッチを開催。3月8日川崎では新旧デスマッチ世代闘争8人タッグマッチが組まれ、旧世代チ
03年の年末は空前の格闘技ブームが到来、大晦日には民放3局が格闘技特番をゴールデンタイムで組み、真正面から衝突。日本テレビが「猪木ボンバイエ」(神戸ウィングスタジアム)、TBSが格闘家に転向した元横綱・曙vs人気絶頂だったボブ・サップとの話題の一
大日本プロレス03年晩夏の横浜文化体育館大会は「HARDER THAN HARDCORE」シリーズ最終戦〜HARDER THAN HARDCORE5(観衆3,600人満員発表)として行われています。メインイベントはBJW認定デスマッチ・ヘビー級選手権試合、王者金村キンタロー(WEW)にデビ
03年最初の大日本プロレス横浜文化体育館大会は3月30日、「HARDER THAN HARDCORE」最終戦(観衆4,000人満員発表)が開催されています。メインイベントはCZWのザンディグが日本撤退を発表してから1年以上空位になっていたBJW認定デスマッチ・ヘビー級王
大日本プロレスは02年は3回横浜文化体育館大会を開催しています。12月19日年末のビッグマッチ「HARDER THAN HARDCORE」最終戦(観衆3,800人発表)が行われました。この年の秋からMEN'Sテイオー率いるメンズクラブと山川&スキンヘッダーズ連合の抗争が勃発。11
大日本プロレスは02年4月4日、大阪・鶴見緑地花博記念公園水の館付属展示場から「WORLD EXTREME CUP」をスタートさせました。ABCD4ブロックによる予選が4か月に亘って行われ、各ブロック代表上位2名による8選手が8月のファイナルシリーズにおける
01年の大日本プロレスは年末の12月2日に横浜アリーナに進出、「BJ CROSS OVER01〜ANTE UP」を開催、11,923人の大観衆を動員しています。この年は横浜で2度、ビッグマッチを開催。メインイベントでは3月の博多スターレーンで頭蓋骨骨折という重傷を負い、
新世紀を迎えた01年も大日本プロレスとCZWの抗争は激化。しかし、前回書きました00年11月23日、横浜文化体育館でザンディグを破りBJW認定デスマッチ・ヘビー級王者となった本間朋晃が暮れに大日本を退団してしまい、フリーとして全日本プロレスに参戦。
00年4月、ミレニアムの大日本プロレスを襲ったのがアメリカ東部地区にあるハードコアプロレス団体CZW(コンバットゾーン・レスリング)。エースであるザンディグ、「家庭内暴力」をリングネームとしたワイフビーター、ニック・ゲージ、アシッド、ジャスティ
99年の大日本プロレスもシャドウWX、山川竜司、本間朋晃の「デスマッチ新世代」を中心に回っていきました。前年にデビューした葛西純が10月17日、後楽園ホールでジ・ウインガーと組んで松永光弘&山川組を相手にデスマッチデビュー。敗れはしましたが度胸と