76年新日本プロレス「アジア・リーグ戦」最終戦、8月5日、蔵前国技館大会、セミファイナルで予定されていたストロング小林と上田馬之助のシングルマッチは前回書いた理由で中止になりました。セミファイナルは坂口征二&S小林&星野勘太郎組とジート&ボロ
新IWA世界ヘビー級王者として76年7月4日国際プロレスの「ビッグ・サマー・シリーズ」開幕戦のリングに上がった上田馬之助。このシリーズは後にストロング小林同様の道を辿り、フリーから新日本プロレスに入団することになる剛竜馬(八木宏)が3年7か月に
76年5月23日国際プロレスの「ビッグ・チャレンジ・シリーズ」に2年7か月ぶりに前頭部を金髪に染めた「まだら狼」として凱旋帰国、フリー参戦した上田馬之助。開幕戦の後楽園ホールではエディ・サリバンとシングルマッチで対戦、7分30秒、アバラ折り(コブ
76年新日本プロレス「アジア・リーグ戦」最終戦、8月5日、蔵前国技館(観衆8,800人発表)大会。メインイベントはアントニオ猪木のNWF世界ヘビー級王座に初代アジア・ヘビー級王者であるタイガー・ジェット・シンが挑戦。TJシンは真新しいアジア・ヘビー
76年新日本プロレス「アジア・リーグ戦」も残すところ後3大会。第23戦、8月3日青森県営体育館(観衆2,500人発表)大会。メインイベントはタッグ部門決勝リーグ戦(45分3本勝負)2戦全勝チーム同士の坂口征二&ストロング小林組とタイガー・ジェット・シン&
76年新日本プロレス「アジア・リーグ戦」終盤戦の激闘の模様です。シングル部門はタイガー・ジェット・シンが優勝、初代アジア・ヘビー級王者となり、順当な結果となりました。坂口征二は準優勝、ストロング小林は決勝リーグ戦3位となり、優勝決定戦進出は成
76年新日本プロレス「アジア・リーグ戦」第17戦、7月28日、熊本市体育館(観衆3,300人発表)大会。この日がシングル部門決勝リーグ戦最終日。ストロング小林はセミ前でボロ・モンゴルと対戦し11分33秒、逆エビ固めでギブアップ勝ちをし、6戦4勝1敗1分、こ
76年新日本プロレス「アジア・リーグ戦」第12戦、7月23日、香川県高松市民文化センター(観衆2,300人発表)大会。新日本プロレスの金曜日開催の高松市民文化センター大会でテレビ生中継がなく、前日の岡山大会が録画中継されたのは非常に珍しいです。(プロモー
76年新日本プロレス「アジア・リーグ戦」前半戦の激闘の模様です。第6戦、7月17日金沢市石川県卯辰山相撲場(観衆4,500人超満員発表)大会。メインイベントはアントニオ猪木&星野勘太郎組がジート&ボロのザ・モンゴルズと対戦したタッグマッチ60分3本勝負
76年新日本プロレス「アジア・リーグ戦」開幕戦、7月9日後楽園ホール(テレビ生中継、観衆2,200人満員発表)大会。メインイベントはタッグ部門予選(45分1本勝負)、アントニオ猪木が木戸修と組んでガマ・シン&ゴーディ・シン組と対戦。猪木はモハメド・アリ
76年新日本プロレス「アジア・リーグ戦」参加外国人レスラー、プロフィールの続きです。パキスタン代表のマジット・アクラはニュージーランドのジョン・ダ・シルバの変身であり、この選手も偽中近東人。1934年6月11日 ニュージーランドのオークランド地方プ
76年新日本プロレス「アジア・リーグ戦」参加外国人レスラーのプロフィールの続きです。モンゴル代表、ジート&ボロのザ・モンゴルズは74年4〜5月の「第1回ワールド・リーグ戦」以来2年2か月ぶりに揃っての来日となりました。前回の「第1回ワールド・リ
76年新日本プロレス「アジア・リーグ戦」(正式名称には「アジア・リーグ戦チャンピオン決定シリーズ」)は7月9日後楽園ホールで開幕。2月16日に記者会見を行った通りで新設されたアジア・ヘビー級、アジア・タッグの両初代王者の座を巡り、トーナメントとリ
76年3月19日午後2時から代官山の日本プロレス(残務処理中)事務所で芳の里社長が記者会見を行い、日本プロレスの事務所の金庫に眠っていたアジア・ヘビー級とアジア・タッグの両王座をNWAの認可を受けて復活させたことを発表しました。以下、芳の里社長が
76年新日本プロレス「ビッグ・ファイト・シリーズ」開幕戦の4日前となる2月16日にアントニオ猪木代表と新間寿営業本部長が港区南青山の事務所で記者会見を行い、力道山時代の55年11月以来、実に21年ぶりに「アジア・リーグ戦」(アジア選手権大会)の開催を実
76年新日本プロレス「第3回ワールド・リーグ戦」、全日本プロレスとの興行戦争ですが、川崎市体育館が新日本プロレスは4月2日の開幕戦、全日本プロレスは逆に5月13日の最終戦を持って来ました。6週間差がありますが、同じシリーズ内なので比較しておきた
76年新日本プロレス「第3回ワールド・リーグ戦」第5位は9勝(1不戦勝)4敗、マサ齋藤。負けは優勝した坂口征二、ペドロ・モラレス、ビクター・リベラ、ストロング小林の4人で前75年の第2回大会はフォール負けだった坂口、S小林にはリングアウト負けと、
76年新日本プロレス「第3回ワールド・リーグ戦」は坂口征二の初優勝で幕を閉じましたが、優勝決定戦の行われた5月11日の東京体育館は5,200人発表と動員は振るわず。5月11日はGW明けの火曜日になりますが、当時はまだプロレスの東京のビッグマッチは全日
76年「第3回ワールド・リーグ戦」第31戦、5月10日仙台・宮城県スポーツセンター(観衆3,500人発表)大会で翌5月11日東京体育館での優勝決定戦出場者を決める巴戦(先に2勝した選手の勝ち)が行われ、10勝3敗で同点2位となった坂口征二、キラー・カール・ク
76年新日本プロレス「第3回ワールド・リーグ戦」第29戦、5月7日香川県高松市民文化センター(テレビ生中継、観衆3,200人満員発表)大会。ここで優勝の行方を大きく左右する事件が…。番組の冒頭、セミ前のアントニオ猪木&星野勘太郎組とビクター・リベラ&
76年新日本プロレス「第3回ワールド・リーグ戦」終盤戦の激闘の模様です。第25戦、5月1日熊本市体育館(観衆4,000人超満員発表)大会、セミファイナルの公式戦でストロング小林とペドロ・モラレスが対戦し、11分49秒、回転エビ固めでモラレスがフォール勝ち
76年新日本プロレス「第3回ワールド・リーグ戦」後半戦、5月11日東京体育館での優勝決定戦進出を賭けて連日激しい星の潰し合いが展開されています。第19戦、4月24日愛媛県川之江市(現在の四国中央市)体育館(観衆1,200人発表)大会。前日23日岡山武道館で決
76年新日本プロレス「第3回ワールド・リーグ戦」第14戦、4月17日三重県津市体育館(観衆3,500人超満員発表)大会。メインイベントではストロング小林とマサ齋藤とタッグを結成しビクター・リベラ&ラウル・マタ組と対戦(60分3本勝負)。1本目は10分28秒、マ
76年新日本プロレス「第3回ワールド・リーグ戦」第8戦は4月10日千葉県市原市臨海体育館(観衆2,500人満員発表)大会。公式戦は坂口征二とビクター・リベラが対戦し8分52秒、片エビ固めで坂口が勝って初白星。山本小鉄と木戸修の公式戦は12分40秒、アーム・
76年新日本プロレス「第3回ワールド・リーグ戦」開幕戦、4月2日、神奈川県川崎市体育館(テレビ生中継、観衆3,400人満員発表)大会。メインイベントはアントニオ猪木とペドロ・モラレスがタッグマッチで初対決、猪木&マサ齋藤組とモラレス&ビクター・リベ
76年新日本プロレス「第3回ワールド・リーグ戦」参加外国人レスラーの中で面白いと思ったのがケン・マンテル。マンテルは75年12月6日〜18日まで開催されていた全日本プロレス「オープン選手権」に参加したばかりで帰国してからまだ3か月ちょっとしか経って
76年新日本プロレス「第3回ワールド・リーグ戦」参加選手プロフィールの続きです。「黒い核弾頭」ビクター・リベラは73年9〜10月の「闘魂シリーズ」以来2年半ぶりの来日。1944年プエルトリコ・サン・ホセ出身、少年時代の54年に一家でアメリカのニューヨー
76年新日本プロレス春の祭典「第3回ワールド・リーグ戦」は4月2日、神奈川県川崎市体育館で開幕。ペドロ・モラレス、キラー・カール・クラップ、ビクター・リベラ、タワーリング・インフェルノ(スーパー・デストロイヤー、ネイル・グアイ)、ブッチャー・バ
元国際プロレスのエースであり、団体の看板タイトルであるIWA世界ヘビー級王座を転落する(誰かに負けてベルトを置いていく)ことなくフリーとなったストロング小林を2度に亘って破り、73年4月に興行活動を休止した日本プロレスの最後のエースであり且つ認
前回の74年12月12日、新日本プロレス蔵前国技館でのアントニオ猪木vsストロング小林のNWF世界ヘビー級選手権試合、勝者猪木インタビューの続きです。小林を返り討ちにして意気上がる猪木はついに馬場への内容証明郵便による挑戦状を送付すると発表。ー「し