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日記一覧

74年12月12日新日本プロレス蔵前国技館で行われたアントニオ猪木vsストロング小林のNWF世界ヘビー級選手権試合、勝って8度目の同王座防衛に成功した猪木との一問一答形式インタビューです。ー「小林は3月の時に比べてどうだったですか?」猪木「うーん…

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74年12月12日新日本プロレス蔵前国技館大会、アントニオ猪木vsストロング小林のNWF世界ヘビー級選手権試合、10分過ぎの攻防からです。猪木は小林の両足をダブル・レッグロックに畳んでから足を差し入れての得意のリバース・インディアン・デスロックからブ

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74年12月12日新日本プロレス蔵前国技館大会、メインイベント、アントニオ猪木にストロング小林が挑戦したNWF世界ヘビー級選手権試合。試合開始直後の猪木のドロップキック連発、ボディスラムからのフォールで小林は右足をサードロープに掛けていたにも関わ

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ジャイアント馬場のNWA世界ヘビー級王座獲得の「快挙」はアントニオ猪木と新日本プロレスが大物外国人が呼べず、日本人対決でお茶を濁しているという印象操作を与えるには十分の効果があったか、といえば実はあまりそうでもなく、やはり猪木とストロング小

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74年9月28日に、豊登、芳の里、ユセフ・トルコ、九州山ら日本プロレスOBから、「アントニオ猪木vs大木金太郎、猪木vsストロング小林の再戦の勝者と馬場は闘うべき。」と声明文を突きつけられ、さらに猪木には「小林との再戦に勝ったらある重大発表をする。

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「別冊ゴング」74年12月号より、ストロング小林との再戦が決まったアントニオ猪木へのロングインタビューの続きです。(聞き手・竹内宏介編集長)竹内「猪木さん自信は小林をどう評価していますか?特に最近、悪党になったと言われている小林について。」猪木「

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アントニオ猪木への再挑戦が決まったストロング小林ですが、帰国前に「別冊ゴング」74年12月号で国際電話での独占インタビューに答え、再戦へ向けて怪気炎を上げています。このインタビューは非常に興味深い内容になっていますので抜粋して引用してみたいと思

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ストロング小林のWWWF地区武者修行後半戦振り返りです。(海外の日付は全て現地時間)74年9月25日メーン州バンゴーで対戦して勝ったアーノルド・スコーランは力道山時代の62年日本プロレスの「第4回ワールド・リーグ戦」にルー・テーズ、フレッド・ブラッ

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(前回より続く)竹内宏介「そろそろ時間も遅くなって来たので最後の本題に入ろうと思いますが、今でも猪木選手への『再挑戦』への意思に変わりはない?」ストロング小林「もちろんです。何の為に僕がアメリカで血みどろの努力を続けているのか?その答えは『打

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アントニオ猪木に敗れたストロング小林は「アメリカに行って鍛え直して、もう一度猪木さんに挑戦する」と表明、74年5月29日にアメリカ武者修行に出発しました。小林はまずフロリダに行き、マスクマンのコリアン・アサシンに変身し、パク・ソンナン(朴松男)と

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74年3月19日、新日本プロレス蔵前国技館大会、NWF世界ヘビー級選手権試合、アントニオ猪木vsストロング小林の一戦は壮絶な流血戦、激闘の末に29分30秒、ジャーマン・スープレックスホールドで猪木がフォール勝ち、王座初防衛に成功しています。勝敗が決し

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74年3月19日新日本プロレス蔵前国技館大会、ダブル・メインイベント第2試合、国際プロレスを離脱したストロング小林がアントニオ猪木のNWF世界ヘビー級王座に挑戦した世紀の大一番。試合開始から15分、得意のベアハッグで猪木を揺さぶり、背骨を痛めつけ

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74年3月19日新日本プロレス蔵前国技館大会。都営地下鉄蔵前駅、国鉄総武線浅草橋駅から人の波が続いていました。外は冷たい雨、3月中旬にしては2月並みの寒さでした。1954年12月22日、同じ蔵前国技館での力道山vs木村政彦戦から20年、アントニオ猪木とスト

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団体の現役世界ヘビー級王者が退団して他団体の王者に挑戦するという、日本プロレス史上前代未聞のアントニオ猪木vsストロング小林戦が正式決定。3月1日には新宿・京王プラザホテルで両者による調印式が行われました。新日本プロレスの「創立2周年記念ビッ

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74年、国際プロレスはストロング小林の退団だけではなく68年1月から放送開始されたTBSの「TWWAプロレス中継」が3月一杯で打ち切りとなりました。「TWWAプロレス中継」は当初は毎週水曜日午後7時(関東地区)〜7時56分の原則生中継でスタート。放

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74年国際プロレス「新春パイオニア・シリーズ」が閉幕した1週間後、2月8日ストロング小林は辞表を持って新宿区高田馬場にある国際プロレスの事務所を訪れ、吉原功社長に退団の申出をしたものの、慰留され話し合いは平行線に。この話を事前に察知していた「

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74年国際プロレス「新春パイオニア・シリーズ」は前々回(2)で書いたように、前半戦の2週間、1月19日川崎市体育館大会迄で予定されていたタイトルマッチは全て行われシリーズ最終戦の2月1日札幌中島スポーツセンター大会までは通常の消化試合的興行が行わ

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ストロング小林国際プロレス所属ラストシリーズとなった74年「新春パイオニア・シリーズ」中盤戦の模様です。1月13日和歌山県立体育館(観衆4,000人満員発表)大会。メインイベントはグレート草津&アニマル浜口組がジェリー・ブラウン&バディ・ロバーツ組の

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ストロング小林の国際プロレス所属最後のシリーズ74年「新春パイオニア・シリーズ」は1月5日北九州市小倉区三萩野体育館(テレビ収録、観衆3,000人発表)で開幕しています。 前73年、7月9日大阪府立体育会館で同門のラッシャー木村を2−1で破りIWA世

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昭和プロレス復興の起爆剤となりました74年3月19日蔵前国技館で行われたNWF世界ヘビー級選手権試合、アントニオ猪木vsストロング小林の一戦を振り返りたいと思います。初回は大きく再編成された前73年の激動の日本マット界を振り返りを織り交ぜながら74年

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全日本プロレス「オープン選手権」第9戦、12月15日仙台・宮城県スポーツセンター(テレビ収録、観衆6,000人超満員発表)大会ではファン投票「夢の対決」第1位に輝いたジャイアント馬場とジャンボ鶴田の師弟対決。試合開始早々、打点の高いドロップキックを顔

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75年12月11日、日本武道館での「力道山13回忌追善特別大試合」を経て、全日本プロレス「オープン選手権」12月12日の第6戦は三重県鈴鹿市立体育館(観衆2,200人発表)大会。ハーリー゛レイスは前回書いた左肩の脱臼により、また、以下の選手は11日の日本武道館

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75年12月11日、日本プロレス界始まって以来初と言っていい、互角のパワーバランスを持った団体による本格的な同日同時刻開催の大規模な興行戦争が展開され、歴史に残る1日となりました。日本プロレス界における興行戦争と言えば、この時より7年11か月前、の

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75年12月11日、日本武道館で行われた百田家主催、協力全日本プロレス、国際プロレス、日本プロレスによる「力道山13回忌追善特別試合」は14,500人(超満員発表)の観客を動員しました。日本武道館でプロレスの興行が開催されたのは66年12月3日、日本プロレスが

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全日本プロレス75年「オープン選手権」は内外20人という史上空前のメンバーを集めて行われました。まずは12月11日、日本武道館での「力道山13回忌追善特別試合」の前までの前半戦からの主な展開を振り返ってみたいと思います。第2戦の12月7日埼玉県川越市民

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先ず日記の本編に先立ち、昨日2026年8月5日、全日本プロレス、ジャイアント馬場と深い関わりを持つ第46代NWA世界ヘビー級王者、ドリー・ファンク・ジュニアさんの訃報が入ってきました。ドリーさんは1941年2月3日インディアナ州インディアナポリス出身

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75年10月30日、全日本プロレスの「創立3周年記念ジャイアント・シリーズ」最終戦、蔵前国技館大会が行われ、ジャイアント馬場vs大木金太郎の一騎討ちが人気を呼び12,000人(超満員発表)の大観衆を動員してみせました。全日本プロレスは旗揚げ3年にして初めて

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75年10月21日永田町の東京ヒルトンホテル(キャピトル東急ホテル)で百田家(力道山家、力道山未亡人の百田敬子さんと百田家後見人、リキエンタープライズの山本正男代表)が記者会見を行いました。本75年は力道山の13回忌にあたる事から、それを記念した大会「力

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全日本プロレス75年「創立3周年記念ジャイアント・シリーズ」は9月26日後楽園ホールで開幕、アブドーラ・ザ・ブッチャー、オックス・ベーカー、プリンス・ピューリン、スタン・ハンセン、ボビー・ジャガーズ、ラリー・ズビスコの外国人選手が参加。後に新日

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75年新日本プロレス「闘魂シリーズ」が行われている間に、ジャイアント馬場と全日本プロレスは前74年、猪木にマスコミを使って「馬場、挑戦を受けろ!」と派手に挑発され、12月13日には「興行権、テレビ放映権も全部くれてやる、立ち給え馬場君、我々は力道山

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