年末にMSG遠征を行った為81年の新日本プロレスは少し遅めの1月9日古河市立体育館から「新春黄金シリーズ」が開幕しました。このシリーズ初来日を果たしたのが前年夏にロサンゼルスに突如出現した債権取立人ジ・エンフォーサー。前シリーズに来日したオッ
80年は新日本プロレスが前年の躍進ぶりをさらに一層充実させた1年でした。前79年、モハメド・アリ戦で7億円とも9億円とも言われた負債を完済し資金が潤沢になった新日本プロレスはWWFとの業務提携をさらに密にし、これまで全日本プロレスと比べて見劣り
80年の国内日程を終えたアントニオ猪木、坂口征二、藤波辰巳らは12月29日(現地時間)ニューヨーク・MSGのWWF定期戦に出場の為渡米。猪木はボビー・ダンカンとNWFヘビー級王座防衛戦を行い12分47秒、延髄斬りからのギロチンドロップによる体固めで破り
80年「闘魂シリーズ」が終わると年末は「MSGタッグ・リーグ戦」が開催された為、タイトル戦の開催はなし。北米タッグ王者チームの坂口征二&長州力組は解体され、坂口はストロング小林との元同王者コンビを復活。長州は凱旋帰国予定だったキラー・カーンと
80年もNWAとWWFの友好関係は続き、9月22日(現地時間)ニューヨーク・MSGの定期戦では全日本プロレス参戦から帰国したハーリー・レイスが出場。こちらも新日本プロレスに来日していたWWFヘビー級王者ボブ・バックランドとダブルタイトルマッチを行
80年8月22日品川プリンスホテル・ゴールドホールでブラディ・ファイト・シリーズが開幕。開幕戦からいきなりボブ・バックランドにアントニオ猪木が挑戦したWWFヘビー級選手権試合が組まれました。試合は20分31秒、両者場外転落したところスタン・ハンセン
豪華外国人メンバーが揃った80年の「第3回MSGシリーズ」ではWWF北米ヘビー級、北米タッグ両王座とも防衛戦の開催はありませんでした。6月5日蔵前国技館での優勝決定戦は決勝リーグ戦1位は35点のアントニオ猪木で、2位には32点でアンドレ・ザ・ジャ
80年2月27日蔵前国技館ではアントニオ猪木vsウィリー・ウイリアムスの格闘技世界一決定戦(WWF格闘技世界ヘビー級選手権試合)が行われています。プロレスと極真空手の世紀の果たし合いは殺伐とした異常な雰囲気で行われ2ラウンドに両者場外転落した際にウ
アントニオ猪木、坂口征二、藤波辰巳、長州力の新日本プロレス勢が出場した79年12月17日、ニューヨークMSGでは”インクレディブル”ハルク・ホーガンがWWFでのデビュー戦を行っています。ホーガンは本名テリー・ジーン・ボレアでベーシストからプロレス
79年12月17日(現地時間)ニューヨークMSGで開催された WWF定期戦に日本からアントニオ猪木、坂口征二、藤波辰巳、長州力の4選手が出場。主力選手がこれだけMSGに出るというのも初めてで当時のWWFと新日本の蜜月関係を現しています。猪木はアイア
新日本プロレス79年「闘魂シリーズ」最終戦は12月6日、蔵前国技館で行われ新WWFヘビー級王者アントニオ猪木にボブ・バックランドが挑戦したリターンマッチが行われました。試合は再びタイガー・ジェット・シンがリングサイドに出現し、徳島の時よりもリン
79年11月16日沖縄・那覇市奥武山体育館のテレビ生中継では坂口征二&長州力組がグレッグ・バレンタイン&マサ齋藤組の挑戦を受けて北米タッグ王座の防衛戦を行っています。試合は長州が額から流血する展開となり1本目は9分1秒日本組の反則勝ち。2本目は55
坂口征二がパット・パターソンを破りWWF版の北米ヘビー級王座を奪取したまでは良かったですが、実は既にこの時点で同王座はインターコンチネンタル王座に改称されていて、アメリカでは存在しない王座になっていました。前々回書いた北米王者パターソンがブ
WWF北米ヘビー級王者パット・パターソンが王者となった時期には前回書いた79年6月のペンシルバニア州アレンタウン説ともう一つ、同年10月22日ニューヨークMSGでのWWF定期戦でインターコンチネンタル王者パターソンと北米ヘビー級王者デビアスがダブ
タイガー・ジェット・シンにNWA北米ヘビー級王座を奪われた坂口征二でしたが、次期79年「闘魂シリーズ」にもシンが後半戦に特別参加することは決まっていたものの、シンにリターンマッチを挑むことはなく、何故か前半戦に特別参加したパット・パターソンの
「プロレス夢のオールスター戦」が終わってから2日後の79年8月28日、松阪市総合体育館で「ブラディ・ファイト・シリーズ」が開幕。8月31日、宮崎・南九州学院短大体育館では坂口征二&長州力組が1年8か月ぶり来日したジェリー・ブラウン&バディ・ロバー
79年「サマー・ファイト・シリーズ」が終わるとアントニオ猪木、坂口征二、藤波辰巳の3人はアメリカ、カナダへ遠征を行いました。8月10日(現地時間)ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムでは猪木がタイガー・ジェット・シンと7分3秒両者リングアウ
79年4月27日横浜文化体育館で開幕した「第2回MSGシリーズ」には前半戦に元NWA世界ヘビー級王者のジャック・ブリスコが特別参加し話題を集めました。71年12月に猪木が日本プロレスを追放・除名処分されてからはNWA系の大物外国人選手との対戦はなか
79年1月26日岡山武道館でジョニー・パワーズのNWF北米ヘビー級王座に挑戦した坂口は20分1秒、コーナーポストからのフライング・ニードロップからの体固めで破り王座獲得。北米タッグ王座と併せて「北米2冠王」となりました。この時、坂口の入場テーマ曲
日本で猪木にNWF世界ヘビー級のベルトを奪われてアメリカに帰国したジョニー・パワーズは翌74年1月31日にオハイオ州クリーブランドでアーニー・ラッドに敗れ北米ヘビー級王座からも転落、この時にオックス・ベーカーが乱入し、観客が暴動を起こし、NWF
71年11月17日ニューヨーク州バファローでNWF北米ヘビー級と初代NWF世界ヘビー級の2冠王者となったジョニー・パワーズは、3日後の11月20日にオハイオ州クリーブランドでワルドー・フォン・エリックに敗れNWF世界王座から早くも転落。北米ヘビー級王
79年に入ると、坂口征二にシングルのベルトを巻かせようという動きが起きています。前年78年は「ドラゴンブーム」藤波辰巳人気が爆発し、売り出しも一段落、ジュニア・ヘビー級の概念も日本で定着しており、次は坂口の番となった訳です。そこで目を着けたのが
78年6月23日大宮スケートセンターで開幕した「サマー・ファイト・シリーズ」にはストロング小林も凱旋帰国3シリーズぶり坂口征二との北米タッグ王者チームが揃い踏みしました。7月24日広島県立体育館ではピーター・メイビア&ヘイスタック・カルホーン組に
78年1月6日川崎市体育館で開幕した新春黄金シリーズはタイガー・ジェット・シン、上田馬之助組(上田は1月13日岡山武道館から参加)、ジェリー・ブラウン&バディ・ロバーツのハリウッド・ブロンドス、後カラーは変わりますが2人合わせて600kgのベニー&ビ
77年6月24日大宮スケートセンターで開幕した「アジア・チャンピオン・シリーズ」にはアジア・ヘビー級、北米タッグ二冠王者のタイガー・ジェット・シン、北米タッグ王者の上田馬之助が参加しています。1月の新春黄金シリーズはスポット参戦だった上田はこの
77年6月9日(現地時間)バージニア州ノーフォーク・コンベンションセンターで行われたタイガー・ジェット・シン&上田馬之助組に坂口征二&ストロング小林組が挑戦した北米タッグ選手権試合は60分1本勝負で行われ、シン&上田組の再三の反則攻撃に業を煮やし
77年4月22日、大阪府立体育会館で開幕した「ゴールデン・ファイト・シリーズ」で左腕負傷により欠場していたストロング小林が戦列復帰。開幕戦のリング上では先シリーズに凱旋帰国した吉田光雄のリングネームが「長州力」と発表されました。当時は横文字のリ
77年になると、新日本プロレスのリングにまだら狼上田馬之助が登場し北米タッグ王座は前年までとは流れが一変しています。1月7日越谷市体育館での「新春黄金シリーズ」開幕戦に乱入した上田はタイガー・ジェット・シンと共闘。セミファイナルの坂口征二&ス
76年は猪木が格闘技世界一決定戦路線に乗り異種格闘技戦に走ったところからNWF世界ヘビー級王座の防衛戦は年間4回と少なくなりました。3月18日蔵前国技館ではジョニー・パワーズを2-1で撃破。アリ戦を挟んだ8月5日には蔵前国技館でタイガー・ジェッ
76年の年頭の1月7日東京日比谷の帝国ホテルで72年ミュンヘン五輪柔道重量級、無差別級金メダリストであるオランダのウィリエム・ルスカがプロ格闘家に転向、猪木に挑戦を表明しました。2月6日新日本プロレス初使用となる日本武道館で両者が格闘技世界一決