北米タッグ王座のベルトは再びアントニオ猪木&坂口征二組の腰に戻りました。75年10月24日水戸市民体育館で開幕した「闘魂シリーズ第2弾」には新日本初参戦となる人間風車ビル・ロビンソンが終盤1週間に特別参加。シリーズ最終戦12月11日蔵前国技館では猪木
ロサンゼルスでの試合から2日後の75年8月3日ネバダ州ラスベガスにおいてNWA総会が開催されました。アントニオ猪木の新日本プロレスが3年連続してNWAに加盟を申請。新日本プロレスは今回の加盟申請に先立ちアメリカの弁護士と相談の上、「今回加盟を
75年「ゴールデン・ファイト・シリーズ」はアンドレ・ザ・ジャイアントは3週間で帰国し終盤1週間にはNWF世界ヘビー級王者タイガー・ジェット・シンが特別参加。シリーズ最終戦の6月26日蔵前国技館猪木はシンに3度目の挑戦。シンは試合前に「猪木の挑戦
NWFがアメリカにいつまで存在していたのか?には諸説あります。経営不振に喘いでいた団体の共同オーナー兼エースレスラーのジョニー・パワーズが猪木に敗れNWF世界ヘビー級ベルトを失ったのが73年12月。猪木は1回目のストロング小林戦を終えたばかりの
アントニオ猪木のNWF世界ヘビー級王座返上問題は新日本プロレスの仕組んだ話題作りに他ありませんでした。長い日米プロレスの歴史においてデビット・ヘルマン(ディック・フェラルドマン)NWF会長、ジェリー・アレン・プラター会長代行の名前が出てくるの
74年は年頭からアントニオ猪木が日本選手権の開催を訴え続け、ジャイアント馬場に挑戦を執拗に繰り返しました。元国際プロレスのエースだったストロング小林と日本プロレスの先輩大木金太郎を連続して倒した猪木は実力日本一の呼び声も高くなりました。しかし
74年5月24日足立区体育館で開幕した「ゴールデン・ファイト・シリーズ」に初来日したNWA北米タッグ王者チーム、カール・フォン・ショッツ&クルト・フォン・ヘス組のナチの戦犯コンビは恐るべき強さを発揮。開幕戦では70年日本プロレスの「第1回NWAタ
アントニオ猪木のNWF世界ヘビー級王座奪取は日本のプロレス界には画期的な出来事でした。それまでの長い日本プロレス界の歴史を辿ると、異論のある方もおられるかと思いますが、力道山、ジャイアント馬場のインターナショナル王座、猪木、坂口征二のUN王
最も、73年8月24日のロサンゼルスの大会の時は北米タッグ王座をどこが認定しているか?という事は明確にされていませんでした。これは新日本プロレスのNWA加盟が却下されているという事実が関与してくると思われます。アントニオ猪木&坂口征二組がロサン
新日本プロレスの黎明期に出現した北米タッグ選手権はその出土に不詳な点も多々あり、未だ真相がわからない部分もありますが、新日本プロレスに初めてもたらされたタッグ選手権であり、今回から後に登場する北米ヘビー級王座と併せてその謎を解明していきたい
87年の全日本プロレスと新日本プロレスの暮れのタッグリーグ戦については内容と興行的には歴史と伝統の全日本の世界最強タッグ決定リーグ戦の勝利に終わったと言っていいですが、全日本は12月11日日本武道館大会が年内最終戦(16日後楽園ホールでの薗田の追悼
87年度東京スポーツ新聞社制定「プロレス大賞」の選考委員会が開かれ、最優秀選手賞(MVP)は天龍源一郎が2年連続受賞。年間最高試合賞(ベストバウト)は8月31日、日本武道館でのジャンボ鶴田vs天龍の「鶴龍対決第一章」。さらに最優秀タッグチーム賞は天龍
87年12月14日東京・新高輪プリンスホテルで、グレート小鹿(本名・小鹿信也、当時45歳)の引退記念パーティーが行なわれました。小鹿は85年のジャパンプロレス来襲の時期から試合数が減り、86年10月の「創立15周年記念ジャイアント・シリーズ」から欠場、87年は
87年全日本プロレス「創立満15周年記念世界最強タッグ決定リーグ戦」最終戦、12月11日日本武道館(テレビ収録、観衆13,200人満員発表)大会。金曜日開催、私はこの興行は途中から会場で観戦しています。過去最多12チームによる総当たりリーグ戦もいよいよ最終日
87年全日本プロレス「創立満15周年記念世界最強タッグ決定リーグ戦」も残すところあと2大会、第17戦、12月10日福島・県営会津体育館(テレビ収録、観衆2,600人発表)大会。優勝の可能性を残すチームとそうでないチームが決まります。メインイベントは公式戦、
87年全日本プロレス「創立満15周年記念世界最強タッグ決定リーグ戦」第16戦は、九州地区からの1日の移動日を挟んで関東に戻り、12月8日は前橋・群馬県スポーツセンター(観衆4,100人超満員発表)大会。群馬県邑楽郡出身の谷津嘉章の準地元凱旋興行となりまし
87年「創立満15周年記念世界最強タッグ決定リーグ戦」第15戦、12月6日大分県別府市営温水プール(観衆2,900人満員発表)大会。別府市営温泉プールは使用されたのは久しぶりですが、日本プロレス時代から使われていた由緒ある会場。全日本プロレスでも黎明期に
87年全日本プロレス「創立満15周年記念世界最強タッグ決定リーグ戦」第14戦、12月5日阿修羅・原の地元、長崎国際体育館(観衆4,150人超満員発表)大会。メインイベントはスペシャルタッグマッチ60分1本勝負、ジャイアント馬場&輪島大士組とブルーザー・ブロ
日記の冒頭に本日5月13日はジャンボ鶴田さん(本名鶴田友美、享年49歳)の御命日にあたります。改めて故人のご冥福をお祈りし謹んで哀悼の意を表します。87年全日本プロレス「創立満15周年記念世界最強タッグ決定リーグ戦」第13戦は12月4日福岡国際センター(
87年全日本プロレス「創立満15周年記念世界最強タッグ決定リーグ戦」第12戦、12月3日奈良県橿原(かしはら)体育館(観衆2,100人発表)大会。メインイベントはスペシャルタッグマッチ60分1本勝負天龍源一郎&阿修羅・原組の龍原砲とスタン・ハンセン&テリー・
87年全日本プロレス「創立満15周年記念世界最強タッグ決定リーグ戦」も後半戦に突入、第11戦、12月2日大阪府立体育会館(テレビ収録、観衆5,700人満員発表)大会。ここから上位チームによる連日の星の潰し合いが展開されていくことになります。メインイベント
87年全日本プロレス「創立満15周年記念世界最強タッグ決定リーグ戦」第10戦、12月1日金沢・石川県産業展示館(観衆4,850人超満員発表)大会。永源遙の地元プロモート興行とあってハズレ無しの超満員。メインイベントはスペシャルタッグマッチ60分1本勝負、ジ
87年全日本プロレス「創立満15周年記念世界最強タッグ決定リーグ戦」第9戦は1日の移動日を挟んで11月30日は馬場のお膝元、新潟市体育館(観衆3,100人満員発表)大会。さすがに御大の地元、新潟とあって満員の観客が集まりました。メインイベントは公式戦、全
87年全日本プロレス「創立満15周年記念世界最強タッグ決定リーグ戦」第8戦、この日の昼に生存人がいないことが確認されたインド洋上モーリシャス沖でのハル薗田飛行機事故死の重苦しい空気の中、11月28日北海道・岩見沢スポーツセンター(観衆2,100人発表)が
87年11月27日に南アフリカ遠征の為(新婚旅行も兼ねて)に日本を出発したハル薗田選手夫妻が台北から乗った南アフリカ航空機が、28日の午前インド洋上のモーリシャス沖で墜落。捜索の結果、乗員乗客全員の生存は絶望と発表されました。享年31歳。薗田は本名、園
87年全日本プロレス「創立満15周年記念世界最強タッグ決定リーグ戦」第7戦、11月27日北海道・室蘭市体育館(観衆2,300人発表)大会。メインイベントはスペシャルタッグマッチ60分1本勝負、ドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク組のザ・ファンクスと
87年全日本プロレス「創立満15周年記念世界最強タッグ決定リーグ戦」第6戦、序盤戦のヤマ場となる11月26日札幌中島体育センター(テレビ収録、観衆4,550人満員発表)大会。優勝の行方を占う重要な2大公式戦が組まれました。メインイベントはジャンボ鶴田&谷
87年全日本プロレス「創立満15周年記念世界最強タッグ決定リーグ戦」第5戦、北海道巡業に入り11月25日函館市民体育館 (観衆3,800人満員発表)大会。メインイベントはスペシャルタッグマッチ60分1本勝負、ジャンボ鶴田&谷津嘉章組とスタン・ハンセン&テリ
87年全日本プロレス「創立満15周年記念世界最強タッグ決定リーグ戦」第4戦、11月24日青森県八戸市体育館(観衆4,550人超満員発表)大会。メインイベントはスペシャルタッグマッチ60分1本勝負、ジャンボ鶴田&谷津嘉章組とブルーザー・ブロディ&ジミー・スヌー
87年全日本プロレス「創立満15周年記念世界最強タッグ決定リーグ戦」第3戦、11月23日水戸市民体育館(観衆2,400人発表)大会。この年のリーグ戦は最多12チーム参戦で、日程もハードですが、地方会場ではファンサービスとして公式戦参加チーム同士の通常のタッ