76年6月26日、日本武道館で行われたモハメド・アリvsアントニオ猪木の格闘技世界一決定戦。猪木はグラウンドのポジションで下からのローキック狙いに終始、当初は猪木のキック攻撃に対し何やらわめき散らしながらリング中央をグルグルと回っているアリ、とい
「勝った方がファイトマネー総取り」というアントニオ猪木のウィナーテイクオールの提案は番組の中ではモハメド・アリは一旦は飲んだものの、アリ側のエージェントであるトップランク社のボブ・アラム、リンカーン・プロダクションのロナルド・ホームズ達は「
モハメド・アリとアントニオ猪木の20世紀最大のスーパーファイト「格闘技世界一決定戦」3日前の76年6月23日、午後7時30分より「水曜スペシャル」において新宿・京王プラザホテルから生中継で前夜祭(前夜ではないが)及びディナーパーティーの模様が90分枠で
76年6月20日日曜日昼の後楽園ホールではチケット代3,000円を徴求してのモハメドアリとアントニオ猪木の公開スパーリングが行われました。アリはアメリカから連れてきたスパーリングパートナーのヘビー級ボクサー2人(ジミー・エリス、ロドニー・ボビック)を
76年6月16日決戦10日前、モハメド・アリがついに来日。東京国際空港(羽田)に降り立ったアリはマネージャーのフレッド・ブラッシーと共に報道陣の前に姿を現し拳をあげて威嚇しながら登場。試合の為に来日したのは72年9月1日日本武道館でのマックス・フォス
76年6月10日(現地時間)イリノイ州シカゴ・インターナショナル・アンフィシアターのリングに上がったモハメド・アリはプロレスラーのケニー・ジャイと対戦しました。アリはジャイ相手におそらくマネージャーでありプロレスのトレーナーであるフレッド・ブラッ
一方、アントニオ猪木と相対するプロボクシングWBA&WBC統一世界ヘビー級王者モハメド・アリはこの76年、2月から5月の僅か3か月間に世界タイトルマッチを3回も行い、その強靭な体力を見せつけました。74年10月30日(海外日付は全て現地時間)南アフリ
ペドロ・モラレスが初参戦した76年「第3回ワールド・リーグ戦」は4月2日川崎市体育館で開幕。詳しくは別連載「昭和プロレス年史外伝�γ�木抜きの春の本場所、第3回ワールド・リーグ戦」で詳しく書いてありますので、ここでは軽く触れておきたいと思います
74年に新日本プロレスがWWWFと業務提携を開始して以来、元WWWF(世界)ヘビー級王者の新日本登場は74年4月「第1回ワールド・リーグ戦」のスタン・スタージャック、75年11月「闘魂シリーズ第2弾」のイワン・コロフに次いで3人目。しかし、この2人は
モハメド・アリとアントニオ猪木の「20世紀最大のスーパー・ファイト」の調印式の模様はUPI、AP、ロイター等の各大手通信社、ニューヨークタイムス紙、ニューヨークポストと言った新聞社等米メディアでも取り上げられました。日本の76年3月28日付(27日
76年3月25日(現地時間)ニューヨークのプラザホテルにおいてプロボクシングWBA&WBC統一世界ヘビー級王者モハメド・アリと日本のプロレスリングNWF世界ヘビー級王者アントニオ猪木のワールド・マーシャルアーツ・ヘビーウェイト・チャンピオンシップ
モハメド・アリとアントニオ猪木による世紀の大一番が発表されると日本のプロレス界はこの話題で持ちきりとなりましたが、報道する側には温度差がありました。桜井康雄氏が第二運動部長を勤める「東京スポーツ」と桜井氏の弟分、竹内宏介氏が編集長の「ゴング
ウィリエム・ルスカとの死闘を終えたアントニオ猪木に朗報が…。76年2月24日付のアメリカ、ロサンゼルス版地方紙「ロサンゼルス・ヘラルド・エグザミナー」にプロボクシングWBA&WBC統一世界ヘビー級王者モハメド・アリと日本のプロレスラー、アントニ
76年2月6日日本武道館で行われたアントニオ猪木とウィリエム・ルスカの「格闘技世界一決定戦」はテレビ生中継の視聴率が34.6%を記録(ビデオリサーチ調べ)し、69年7月2日の初回放送開始以来の高視聴率を記録しました。生中継の場合、CM、オープニング
76年2月6日新春黄金シリーズ最終戦、新日本プロレス初進出の日本武道館大会は12,600人(テレビ生中継、満員発表)の観客を動員しました。当日は金曜日であり、午後8時よりワールドプロレスリングのレギュラー枠による生中継。テレビ中継のオープニングは前週
76年1月9日福岡九電記念体育館で、アントニオ猪木とタイガー・ジェット・シンのシングルマッチが組まれました。(ノンタイトル60分1本勝負)試合前、シンは「猪木の武道館での対戦相手は俺ではないのか!何故あんな柔道野郎なんかと試合をするのか?こうなっ
76年1月7日日比谷の帝国ホテルで記者会見が開かれたアントニオ猪木vsウィリエム・ルスカの試合は「格闘技世界一決定戦」と銘打たれました。猪木はグレーのスーツ上下、ルスカはオランダの民族衣装で会見に臨み、会見終了後「裸になって欲しい」という記者か
76年の年頭の1月7日、東京・日比谷の帝国ホテルで記者会見が行われ、ミュンヘン五輪重量級、無差別級2階級で金メダルを獲得した柔道家、オランダの赤鬼の異名を持つウィリエム・ルスカが「プロ格闘家」に転向しアントニオ猪木に挑戦表明をしています。ここ
76年新日本プロレス「アジア・リーグ戦」最終戦、8月5日、蔵前国技館大会、セミファイナルで予定されていたストロング小林と上田馬之助のシングルマッチは前回書いた理由で中止になりました。セミファイナルは坂口征二&S小林&星野勘太郎組とジート&ボロ
新IWA世界ヘビー級王者として76年7月4日国際プロレスの「ビッグ・サマー・シリーズ」開幕戦のリングに上がった上田馬之助。このシリーズは後にストロング小林同様の道を辿り、フリーから新日本プロレスに入団することになる剛竜馬(八木宏)が3年7か月に
76年5月23日国際プロレスの「ビッグ・チャレンジ・シリーズ」に2年7か月ぶりに前頭部を金髪に染めた「まだら狼」として凱旋帰国、フリー参戦した上田馬之助。開幕戦の後楽園ホールではエディ・サリバンとシングルマッチで対戦、7分30秒、アバラ折り(コブ
76年新日本プロレス「アジア・リーグ戦」最終戦、8月5日、蔵前国技館(観衆8,800人発表)大会。メインイベントはアントニオ猪木のNWF世界ヘビー級王座に初代アジア・ヘビー級王者であるタイガー・ジェット・シンが挑戦。TJシンは真新しいアジア・ヘビー
76年新日本プロレス「アジア・リーグ戦」も残すところ後3大会。第23戦、8月3日青森県営体育館(観衆2,500人発表)大会。メインイベントはタッグ部門決勝リーグ戦(45分3本勝負)2戦全勝チーム同士の坂口征二&ストロング小林組とタイガー・ジェット・シン&
76年新日本プロレス「アジア・リーグ戦」終盤戦の激闘の模様です。シングル部門はタイガー・ジェット・シンが優勝、初代アジア・ヘビー級王者となり、順当な結果となりました。坂口征二は準優勝、ストロング小林は決勝リーグ戦3位となり、優勝決定戦進出は成
76年新日本プロレス「アジア・リーグ戦」第17戦、7月28日、熊本市体育館(観衆3,300人発表)大会。この日がシングル部門決勝リーグ戦最終日。ストロング小林はセミ前でボロ・モンゴルと対戦し11分33秒、逆エビ固めでギブアップ勝ちをし、6戦4勝1敗1分、こ
76年新日本プロレス「アジア・リーグ戦」第12戦、7月23日、香川県高松市民文化センター(観衆2,300人発表)大会。新日本プロレスの金曜日開催の高松市民文化センター大会でテレビ生中継がなく、前日の岡山大会が録画中継されたのは非常に珍しいです。(プロモー
76年新日本プロレス「アジア・リーグ戦」前半戦の激闘の模様です。第6戦、7月17日金沢市石川県卯辰山相撲場(観衆4,500人超満員発表)大会。メインイベントはアントニオ猪木&星野勘太郎組がジート&ボロのザ・モンゴルズと対戦したタッグマッチ60分3本勝負
76年新日本プロレス「アジア・リーグ戦」開幕戦、7月9日後楽園ホール(テレビ生中継、観衆2,200人満員発表)大会。メインイベントはタッグ部門予選(45分1本勝負)、アントニオ猪木が木戸修と組んでガマ・シン&ゴーディ・シン組と対戦。猪木はモハメド・アリ
76年新日本プロレス「アジア・リーグ戦」参加外国人レスラー、プロフィールの続きです。パキスタン代表のマジット・アクラはニュージーランドのジョン・ダ・シルバの変身であり、この選手も偽中近東人。1934年6月11日 ニュージーランドのオークランド地方プ
76年新日本プロレス「アジア・リーグ戦」参加外国人レスラーのプロフィールの続きです。モンゴル代表、ジート&ボロのザ・モンゴルズは74年4〜5月の「第1回ワールド・リーグ戦」以来2年2か月ぶりに揃っての来日となりました。前回の「第1回ワールド・リ