他団体からの選手借り受けで船出をした大日本プロレスですが、当初の団体のコンセプトは明確ではなく、バーリ・トゥード路線とデスマッチ路線を並行して歩んでいきました。グレート小鹿社長は「喧嘩最強」と言われ、アメリカでの武勇伝を数多く誇っていたケン
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