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日記一覧

82年4月22日、東京体育館でのグランド・チャンピオン・シリーズ最終戦は10200人(超満員)の観客を動員。メインイベントは2月4日、同所での対戦に続く馬場vsスタン・ハンセンのPWFヘビー級選手権試合。さらに鶴田にハーリー・レイスが挑戦したUNヘビー

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82年グランド・チャンピオン・シリーズ第4戦は4月19日、広島県立体育館大会。メインイベントで鶴田の持つUNヘビー級王座にハーリー・レイスが挑戦。前年6月21日、ジョージア州アトランタでダスティ・ローデスに敗れNWA世界ヘビー級王座から転落したレ

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82年グランド・チャンピオン・シリーズ第2戦は4月17日、大分県立荷揚町体育館大会、メインイベントはドリー・ファンク・ジュニアにテッド・デビアスが挑戦したインターナショナル・ヘビー級選手権試合。同シリーズはチャンピオン・カーニバル最終戦と重なっ

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第10回チャンピオン・カーニバル最終戦&グランド・チャンピオン・シリーズの開幕戦となった82年4月16日、福岡国際センター大会は6800人(超満員)の観客を集めました。この日予定されていた公式戦のうち、ビル・ロビンソンとテッド・デビアスの試合はロビンソ

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82年3月31日、村上市民会館では馬場はビル・ロビンソンと対戦。場外戦となりロビンソンはリング下で馬場にワンハンド・バックブリーカーを決めましたが自らも左膝を痛めてリングに戻れず10分57秒に両者リングアウト。馬場はこれで2日連続の無得点試合となり

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開幕戦ではブルーザー・ブロディと両者リングアウトの無得点試合となった鶴田でしたが、第2戦の3月20日、黒磯市公会堂でアレックス・スミルノフにリングアウト勝ちし初日を出しました。第3戦は3月21日、日曜日の後楽園ホール大会、鶴田はビル・ロビンソン

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82年3月19日、後楽園ホールで行われた第10回チャンピオン・カーニバル開幕戦からいきなりメインイベントで鶴田とブルーザー・ブロディが公式戦で対戦しましたが僅か6分22秒、両者リングアウトで共に無得点発進となっています。馬場はバック・ロブレイに危な

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第10回チャンピオン・カーニバル参加外国人選手のプロフィールの続きです。バック・ロブレイは前年10月の創立10周年記念ジャイアント・シリーズ以来5か月ぶりの来日となりました。交通事故に遭って以来、プレーイング・マネージャーとしても活躍の場を広げた

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全日本プロレス82年春の祭典第10回チャンピオン・カーニバルは3月19日、後楽園ホールで開幕。リーグ戦の最終戦は4月16日の福岡国際センターですがこの日が同時にグランド・チャンピオン・シリーズの開幕戦にあたり、4月22日東京体育館まで連続して激闘が展

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馬場、鶴田、天龍以下の全日本プロレス勢のアメリカ遠征の最後は82年3月7日、ミッドアトランティック地区のジム・クロケット・ジュニアNWA会長のお膝元であるノースカロライナ州シャーロッテ・コロシアム大会。この日も日本テレビによる収録が行われまし

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10日間におけるフロリダでのサーキットを終えた馬場、鶴田、天龍は翌日の82年2月28日には南部のジョージア州アトランタ・オムニセンター大会に出場。この大会は日本テレビで収録されました。馬場は未来日でこの時弱冠20歳のテリー・ゴディの挑戦を受けてPW

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81年3月6日、勝田市(ひたちなか市)総合体育館でWWFビッグ・ファイト・シリーズ第1弾が開幕。同シリーズにはキラー・カーン(小沢正志)が凱旋帰国。カーンは77年メキシコへ修行に出発。モンゴリアン・ギミックのテムヒン・エル・モンゴルとして活躍。79年

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年末にMSG遠征を行った為81年の新日本プロレスは少し遅めの1月9日、古河市立体育館から新春黄金シリーズが開幕しました。このシリーズ初来日を果たしたのが前年夏にロサンゼルスに突如出現した債権取立人ジ・エンフォーサー。前シリーズに来日したオック

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80年は新日本プロレスが前年の躍進ぶりをさらに一層充実させた1年でした。前年、モハメド・アリ戦で7億円とも9億円とも言われた負債を完済し資金が潤沢になった新日本はWWFとの業務提携をさらに密にし、これまで全日本プロレスと比べて見劣りしていた外

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80年の国内日程を終えた猪木、坂口、藤波らは12月29日、ニューヨーク・MSGのWWF定期戦に出場の為渡米。猪木はボビー・ダンカンとNWFヘビー級王座防衛戦を行い12分47秒、延髄斬りからのギロチンドロップによる体固めで破りNWFヘビー級王座7度目の

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80年闘魂シリーズが終わると年末は第1回MSGタッグ・リーグ戦が開催された為、タイトル戦の開催はなし。北米タッグ王者チームの坂口、長州組は解体され、坂口はストロング小林との元同王者コンビを復活。長州は凱旋帰国予定だったキラー・カーンと組んでの

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80年もNWAとWWFの友好関係は続き、9月22日、ニューヨーク・MSGの定期戦では全日本プロレス参戦から帰国したハーリー・レイスが出場。こちらも新日本プロレスに来日していたWWFヘビー級王者ボブ・バックランドとダブルタイトルマッチを行っていま

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80年8月22日、品川プリンスホテル・ゴールドホールでブラディ・ファイト・シリーズが開幕。開幕戦からいきなりボブ・バックランドに猪木が挑戦したWWFヘビー級選手権試合が組まれました。試合は20分31秒、両者場外転落したところスタン・ハンセンとラリー

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豪華外国人メンバーが揃った80年の第3回MSGシリーズではWWF北米ヘビー級、北米タッグ両王座とも防衛戦の開催はありませんでした。6月5日、蔵前国技館での優勝決定戦は決勝リーグ戦1位は35点の猪木で、2位には32点でアンドレ・ザ・ジャイアント、ス

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80年2月27日、蔵前国技館では猪木vsウィリー・ウイリアムスの格闘技世界一決定戦(WWF格闘技世界ヘビー級選手権試合)が行われています。プロレスと極真空手の世紀の果たし合いは殺伐とした異常な雰囲気で行われ2Rに両者場外転落した際にウィリー側のセコ

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猪木、坂口、藤波、長州の新日本プロレス勢が出場した79年12月17日、ニューヨークMSGでは”インクレディブル”ハルク・ホーガンがWWFでのデビュー戦を行っています。ホーガンは本名テリー・ジーン・ボレアでベーシストからプロレス入りした変わった経歴

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79年12月17日、ニューヨークMSGで開催された WWF定期戦に日本から猪木、坂口、藤波、長州の4選手が出場。主力選手がこれだけMSGに出るというのも初めてで当時のWWFと新日本の蜜月関係を現しています。猪木はアイアン・シーク(ハッサン・ザ・アラ

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新日本プロレス79年闘魂シリーズ最終戦は12月6日、蔵前国技館で行われ新WWFヘビー級王者猪木にボブ・バックランドが挑戦したリターンマッチが行われました。試合は再びタイガー・ジェット・シンがリングサイドに出現し、徳島の時よりもリングに近づいて来

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79年11月16日、沖縄・那覇市奥武山体育館(テレビ生中継)では坂口、長州組がグレッグ・バレンタイン、マサ齋藤組の挑戦を受けて北米タッグ王座の防衛戦を行っています。試合は長州が額から流血する展開となり1本目は9分1秒日本組の反則勝ち。2本目は55秒に

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坂口がパット・パターソンを破りWWF版の北米ヘビー級王座を奪取したまでは良かったですが、実は既にこの時点で同王座はインターコンチネンタル王座に改称されていて、アメリカでは存在しない王座になっていました。前々回書いた北米王者パターソンがブラジ

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WWF北米ヘビー級王者パット・パターソンが王者となった時期には前回書いた79年6月のペンシルバニア州アレンタウン説ともう一つ、同年10月22日ニューヨークMSGでのWWF定期戦でインターコンチネンタル王者パターソンと北米ヘビー級王者デビアスがダブ

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タイガー・ジェット・シンにNWA北米ヘビー級王座を奪われた坂口でしたが、次期79年闘魂シリーズにもシンが後半戦に特別参加することは決まっていたものの、シンにリターンマッチを挑むことはなく、何故か前半戦に特別参加したパット・パターソンの持つWW

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プロレス夢のオールスター戦が終わってから2日後の79年8月28日、松阪市総合体育館でブラディ・ファイト・シリーズが開幕。8月31日、宮崎・南九州学院短大体育館では坂口、長州組が1年8か月ぶり来日したジェリー・ブラウンとバディ・ロバーツのハリウッド

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79年サマー・ファイト・シリーズが終わると猪木、坂口、藤波の3人はアメリカ、カナダへ遠征を行いました。8月10日、ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムでは猪木がタイガー・ジェット・シンと7分3秒両者リングアウトの引き分けでNWFヘビー級王

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79年4月27日、横浜文化体育館で開幕した第2回MSGシリーズには前半戦に元NWA世界ヘビー級王者のジャック・ブリスコが特別参加し話題を集めました。71年12月に猪木が日本プロレスを追放・除名処分されてからはNWA系の大物外国人選手との対戦はなかっ

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