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2021年02月09日22:40

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週プロ流智美あの日あの時予想2020年総括(34)

第150戦 9月2日発売号●【予想】スタン・ハンセン、猪木のNWFヘビー級王座に初挑戦(77年新日本プロレス愛知県体育館)【正解】馬場、インターナショナル王座を返上(72年日本プロレス)【参考】2015年9月2日発売号はジョニー・パワーズ新日本初登場もビザ不備にて試合出来ず(73年新日本プロレス田園コロシアム)

【解説】20年前の01年1月28日、全日本プロレス東京ドーム大会で引退セレモニーを行った「不沈艦」スタン・ハンセン。来日外国人レスラーの最多記録を誇り、日本のファンに長く愛されたハンセンですが、ハンセンをスターダムに押し上げたのはやはり77年に新日本プロレスに初登場してからの猪木との一連の激闘です。

前76年、WWWF入りしたハンセンは4月26日、ニューヨークMSGでブルーノ・サンマルチノのWWWFヘビー級王座に挑戦、ボディスラムのミスでサンマルチノの首の骨(第六頸椎損傷)を骨折させるアクシデントを起こしてしまい、年内でWWWFをリリースされることが決まっていましたが、ビンス・マクマホン・シニアはハンセンを新日本プロレスにブッキング。

「新春黄金シリーズ」開幕戦の1月7日、越谷市体育館のメインイベントで猪木といきなりシングルマッチを行い、タイガー・ジェット・シンと上田馬之助の乱入もあり、11分13秒に反則勝ち。翌週の1月14日、福岡九電記念体育館での再戦ではまたもシンと上田が入って来て12分22秒に反則勝ち、シンと上田は猪木を押さえ付け、そこへハンセンがウェスタン・ラリアット。猪木は首を負傷し救急車で福岡市内の病院に搬送され頸椎挫傷により2週間の欠場。

テレビ復帰第1戦となった2月2日、大阪府立体育会館でハンセンのシリーズ3度目のシングルマッチを行った猪木は12分49秒、ハンセンのラリアットをかわしてのバックドロップからの体固めで初のフォール勝ち。この後も2月6日、岩手・久慈市民体育館、2月9日、横浜文化体育館で両者はシングルで対戦、猪木がいずれも逆さ押さえ込みで勝利。

2月7日、一関市体育文化会館でのテレビ収録マッチで猪木&坂口征二組の黄金コンビvsシン&ハンセン組という頂上対決が実現、1本目は日本組の反則勝ち、2本目はハンセンのラリアットがシンに誤爆、猪木がシンから体固めでフォール勝ち。この大会はシリーズ最終戦の2月10日、日本武道館大会の後の2月25日に放送されていますが、武道館で猪木のNWFヘビー級王座に挑戦するシンが取られた、というのはやはり新日本プロレス側にハンセンを今後売り出していこうとする意図があったと言えます。

ハンセンは8月26日、桐生市民体育館で開幕した「闘魂シリーズ」に再来日、当初、同シリーズのエースは新日本プロレス初参戦となる元WWWF、AWA世界タッグ王者のブラックジャック・マリガンでしたが、猪木はハンセンの可能性を信じて9月2日、愛知県体育館でNWFヘビー級王座の挑戦者に抜擢。

この試合、マリガンがハンセンのセコンドに付いて試合にて介入、場外でマリガンがアシストしてハンセンがラリアットをみまってリングに上がり、猪木は場外でダウンしたまま立てずに一旦は猪木のリングアウト負けの裁定が降りました。

しかしリングサイドにいたサブレフェリーの田中米太郎、柴田勝久がメインレフェリーのミスター高橋にアピール、マリガンの介入があったとして判定は覆り試合続行。25分13秒というロングマッチとなり、猪木がバックドロップからの体固めでハンセンを破り、10度目の防衛に成功しています。

これまでシン、ジョニー・パワーズ、アンドレ・ザ・ジャイアントだけで廻してきて、いささかマンネリ化していた猪木のNWFヘビー級王座防衛戦に新しい強敵が現れた記念すべき試合だったと思います。

この週の正解は本連載(29)7月29日発売号の続編とも言うべき内容。日本プロレスから独立宣言をした馬場は既に書いた通り、「第二次サマー・シリーズ」最終戦の8月18日、宮城・石巻市民グラウンド特設リングで大木金太郎と組んでジート&ベポ(後のニコリ・ボルコフ)のザ・モンゴルズを破って有終の美を飾り、日本プロレスを後にすることになりますが、

「馬場君から辞表を受け取ったのは確かだが、慰留する」と語っていた芳の里日本プロレス社長は8月24日、日本プロレス協会会長である平井義一衆議院議員に調停を依頼しましたが馬場はこれを謝絶。その時に記者より「インターナショナル王座はどうするのか?」という質問が為されました。

馬場は「これは俺のベルト、持って出て行く」と宣言、調停案を馬場に却下されて怒り心頭の芳の里は「インターナショナル王座のベルトは日本プロレスが管理しJWC(日本プロレスリング・コミッショナー)が認定しているベルト、馬場がベルトを持っていくというなら大木の挑戦を受けて勝ってから持って行け」と大木が馬場に挑戦を表明。決戦の舞台として9月6日、田園コロシアム大会が浮上。

しかし、この試合、大木がセメントマッチを仕掛けるという噂が出回りました。翌8月25日から馬場は新団体旗揚げ準備の為に渡米。流さんのコラムによると馬場はロサンゼルスで日本プロレスのブッカーをしていたミスター・モト(チャーリー岩本)、テキサス州アマリロのドリー・ファンク・シニアらにベルトを持ったまま独立出来ないか相談していたとのことです。 

ベルトの帰属は団体側にあり、どうしても馬場がベルトを持って出たければ、日本プロレスの言い値で買取りするしかなく、日本プロレスにインターナショナルのベルトを馬場に売り渡す気はある訳もなく流石の馬場もこの工作は失敗し帰国した9月2日に馬場はあっさりとベルト返上を表明しています。

ただ、本件に関しては芳の里が大木と闘って勝ったら持って行け、と言っているところからガチンコでやって潰してしまえば良かった。全盛期の猪木なら、大木の腕を折る位のことは平気でやったかも知れないです。

私の考えは「退団とベルト返上はセット」というもので、返上するか、大木に負けてベルトを渡して出ていくのが業界の掟です。7月29日のコラムに「9月2日にはインターナショナル王座も返上した」と「一行」書けばそれで済む話だと思います。

※対戦成績は150戦30勝120敗、勝率200。
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