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2021年02月06日22:04

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週プロ流智美あの日あの時予想2020年総括(31)

第147戦 8月12日発売号●【予想】幻に終わった馬場vsカール・ゴッチのシングル対決(66年日本プロレス台東体育館)【正解】放浪の殺し屋ジプシー・ジョー、全日本プロレス移籍を表明(81年新大久保サンパークホテル)【参考】2015年8月12日発売号は因縁の藤波&長州、パキスタンでタッグを結成、藤波辰巳&長州力組vsビリー・クラッシャー&カネック(84年パキスタン・クエッタ・アユーブスタジアム)

【解説】66年日本プロレス「第一次サマー・シリーズ」に力道山時代の61年5月「第3回ワールド・リーグ戦」にカール・クラウザーのリングネームで来日して以来、5年ぶりにエース格として来日したカール・ゴッチ。

シリーズ最終戦の8月12日、台東体育館で、馬場とのシングルマッチが組まれていました。この試合はインターナショナル選手権試合とノンタイトル戦、両方の説があり、流さんはノンタイトル戦と書かれていますが、おそらく、台東体育館という会場の規模を考えて当初はノンタイトルで発表、後から興行面、テレビ中継などを勘案し「もし、対戦していれば」ゴッチの要望でベルトが賭けられることになった、と見ます。

それを裏付けるように馬場とゴッチは計4度、前哨戦を行っていますが、最後の前哨戦となった8月5日、尾張一宮市体育館での馬場&吉村道明組vsゴッチ&エル・モンゴル組のタッグマッチで1本目、24分50秒、逆さ押さえ込みでゴッチが馬場からフォール勝ち。

2本目はモンゴルがボールペン状の凶器を持ち出して吉村を攻撃し、4分38秒、日本組の反則勝ち。決勝の3本目は試合開始前に外国人組の反則に激怒した吉村がうがい用のビール瓶を入れてあるバケツで外国人組に殴りかかり、レフェリーの沖識名をもバケツで殴ってしまい吉村の反則負け(試合タイムなし)。2−1で外国人組の勝利。

ゴッチが直接対決を制したことで俄然タイトルマッチ実現の気運が高まったと言っていいでしょう。しかしこの一宮大会でゴッチは右膝を負傷、8月7日、掛川市中部電力前広場特設リング大会、ゴッチは39℃の高熱を出し、震えが止まらなくなり毛布にくるまって試合を欠場。

膝の傷から細菌感染を起こし発熱して入院・手術、リング上には雑菌がウヨウヨしており、これから9年後の75年8月に猪木が罹患し、4週間もの間長期欠場するウイルス性関節炎(蜂窩織炎)でした。かくして台東区体育館での馬場対ゴッチのインターナショナル選手権は幻となった訳ですが台東体育館では代替カードとして馬場&吉村組とEモンゴル&ジャック・ランザ組が組まれ、2−0で馬場&吉村組がストレート勝ちをしています。

さて、この馬場vsゴッチもし闘わばですが、この年の2月28日、東京体育館で馬場は1月7日にミズーリ州セントルイスでジン・キニスキーに敗れNWA世界ヘビー級王座から転落したばかりのルー・テーズを相手に2−1と2フォール奪ってインターナショナル王座2度目の防衛を果たしており、少なくともテーズ戦を基準に考えればを引き分けはなく、馬場が2フォール取ってあっさり勝っていたと思います。

当時は猪木は豊登と東京プロレス旗揚げ興行に向けて指導中であり猪木とゴッチの師弟関係のストーリーが出来るのは翌67年に猪木が日本プロレスに復帰し、日本プロレスがゴッチをコーチとして招聘、「ゴッチ教室」にトップスターでありながら、生徒として参加してからの話です。

もし、この時馬場vsゴッチが実現しゴッチが馬場に倒されていたら、その後の新日本プロレスにおけるゴッチの「プロレスの神様」化もなく、U系団体の誕生というのも実現していなかった可能性があり、日本プロレス史は大きく変わっていたことでしょう。

国際プロレス最後のシリーズとなった81年7〜8月の「ビッグ・サマー・シリーズ」前の「ダイナマイト・シリーズ」に続いて2シリーズ連続参戦、ビッグ・サマー・シリーズには当初ジョーの名前はなく、マッハ隼人のルートでメキシコからMS��(1、エメ・エセ・ウノ)&MS��(エメ・エセ・ドス)組が来日すると発表されていましたがキャンセルされ、代わりにジョーがラインナップされました。

国際プロレスの経営状態もいよいよ危機的になっており「このシリーズで最後になるのでは?」という雰囲気は社内に蔓延しており、ならば、功労者であるジョーを呼ぼう、となったと思います。

8月9日、北海道・羅臼町民グラウンド大会が国際プロレス最後の興行となりましたが、ジョーは帰国せずに日本に残留、次の「再就職先」を探していました。実際のところジョーはゴングのウォーリー山口に「次のツアーでIWE(国際)はフィニッシュ、オールジャパン(全日本プロレス)を紹介してくれ」と打診しており、ウォーリーの上司である竹内宏介編集人を通して馬場に参戦OKの返事をもらっていました。

本稿は8月15日付(14日発行)の東スポがソースで、私も同紙のスクラップブックを所持していましたので解答が出てから検証しましたが、12日の夜に東スポ運動部にジョーから電話が入り、「話がある」と宿泊先の国際プロレスの外国人選手の常宿だった新大久保サンパークホテルに出向いた東スポの記者がにジョーが胸の内をぶちまけて、全日本プロレスへの移籍を表明したものでした。

ジョーは8月20日、後楽園ホールで開幕の全日本プロレス「スーパー・アイドル・シリーズ」から全日本に登場、移籍第1戦は馬場とのシングルマッチといういい扱い。(3分34秒、馬場の反則勝ち)このシリーズはヘビー級のヒール外国人がジョーとジノ・ヘルナンデスしかいなかった為に重宝され、9月4日、大阪府立体育会館では鶴田のUNヘビー級選手権に挑戦、2−1で敗れましたが、1本目を得意のフライング・ニードロップで獲るなど活躍、9月9日、小山ゆうえんちスケートセンターではミル・マスカラスのIWA世界ヘビー級王座(国際プロレスの同名の王座とは別タイトル)にも挑戦し2−1で敗退。いい仕事をやってのけました。

ジョーは85年6月の「熱風!サマー・アクション・ウォーズ」まで約4年間全日本プロレスのレギュラー外国人として活躍しますがが良かったのはこのシリーズ位で扱いはどんどん悪くなり、中堅どころにもあっさりフォール負けを喫するようになっていきます。

※対戦成績は147戦30勝117敗、勝利204。
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