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2019年05月03日00:54

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合戦考証44「軍法の存在」島原の乱

○まずは以下の文章を読んでいただきたいですね。

●忠利九三一「4月12日」第四文
「一つ、鍋島のことですが、伊豆殿が皆のいる前で言い渡されたのは、このたびは二十八日の城攻めと御定めだったものを、御軍法と違って、急な城攻めになったことは、誰にも油断がなかったがゆえに、残らず乗り崩したのは当然だとしても、御軍法の命令に違われたということに(関して)は、必ず伊豆殿が報告するつもりだとのこと。そのときに申し開きをなさるがいい、と申されたため、非常に(鍋島は)行き場に詰まって、困惑しているようでした。当日の打合せでは、たとえ城から(敵が)出ようとも、追い払い、城乗りを一軍から始めるのは絶対にしないようにとの、上使の御命令だったのです。鍋島も(本人は)少しも知らないでのことではあっても、申し開きをどうするか。江戸へも、上使がお戻りのとき、一緒に行かれることになるかと思います。在国のままでの申し開きは、ならないと思います。ただし、どうなることでしょうか」

○忠興が江戸へ行ったので、忠利は「竹内」という家来を「道中見舞い」で江戸へ行かせました。すると竹内は、忠興の手紙「一五一六番」三月十六日付を持ち帰ってきました。よって忠利は、四月十二日付で返書の「九三〇番」を書いたのですが、同じ日付でもう一通を書いていたのです。それが上記の「九三一番」です。その中で、第四文だけを先に提示しました。

○文中に「御軍法と違って」と「御軍法の命令に違われた」の記述があります。ここの一文を原文で示しますと「今度二十八日に城責に御定候処、御軍法被違、俄城責に成候儀、何も無油断故、不残乗崩申儀は尤候へ共、御軍法之申渡被違候儀は、必伊豆殿可被成言上候」です。このように、原文でも「御軍法」という表記なんです。ちなみに私の手元には、昭和十七年発行の『六法全書』がありましてね。この中には、当然ですけど「軍法」が掲載されているんですよ?

○たとえば「陸軍刑法」という「一般の刑法とは別」の刑事法がありまして、第二章「擅権ノ罪」の第三十八条は「命令を待たず、故なく戦闘を為したる者は、死刑、又は無期もしくは七年以上の禁錮に処す」というもの。つまり「抜け駆けで戦闘を始める」と、この罪にあたるんです。指揮官は、場合によっては死刑です。無論これは「近代の軍法」ですが、そしたら上記の手紙をご覧くださいな?

○松平伊豆が「皆の前で」言ったそうです。「二十八日の城攻めと御定めだったものを、御軍法と違って、急な城攻めになった」というのですから、何かの事情で「戦闘が始まってしまった」ということ。しかし松平伊豆は「誰にも油断がなかったがゆえに、残らず乗り崩したのは当然だ」と言って、「始まってしまった城乗り」だが、結果的に「城を落とした」ことは「皆が油断もなく、すぐさま対応したわけだから、それは問題ではない」としているんです。けれど「御軍法の命令に違われた」ことになった以上は、江戸へ「必ず報告するつもりだから」と言っているんです。そして、問題視されているのは「鍋島の行為」だと言うんですね。だから鍋島に対して「絶対に報告するから、そのとき申し開きをなさるがいい」とまで言ったとのこと。原文は「必伊豆殿可被成言上候、其時可被仰分由被申候」です。そして忠利は「当日の打合せでは、たとえ城から(敵が)出ようとも、追い払い、城乗りを一軍から始めるのは絶対にしないようにとの、上使の御命令だったのです」と書いているわけでして、これはまさしく陸軍刑法第三十八条と同じ意味じゃないですか。原文は「其日の申合に、縦城より出候共仕払、城乗一手より仕候儀堅無用との、上使より御定にて御座候き」です。つまり「二十八日開始予定」の城攻めが「二十七日に始まった」のは、鍋島による「命令なき戦闘の開始」のせいであり、結果的に「城を落とした戦果」があっても「軍法違反の擅権罪があった事実は報告するからな」と、松平伊豆は言っているわけ。

○このように、軍法とは基本的に「軍人に対する法律」および「軍事に関する法律」のことなんですよ。現代日本は憲法上で「戦争をしない」ことになっていますので、軍法は制定されていません。よって自衛隊員は、自衛隊法または公務員法の違反で「行政処分」を受けることはあっても、軍事刑法に基づく死刑などありえません。しかし戦前の近代日本には軍法が「あった」わけですし、近世の江戸幕府にも、どうやら「あった」ようじゃないですか。忠利は、はっきり「御軍法」と表記していますし、そのうえ内容も「近代軍法と同じ」なんです。もちろん江戸時代の軍法が、近代軍法と「全部で一致する」わけではないですが。

○反対に、言葉の上では「軍法」だけども、これは法律の意味ではなく、現代語なら「軍事的命令」すなわち「軍令」と訳すべきでしょうか。その場合「一軍で戦闘を始めてはならない」というのは、たまたま「島原の乱」の際に「上使が出した命令」にすぎないこととなります。だから無視していいことになりますか?

○そうなるでしょうね。「処罰を規定する法律」が存在しないなら、命令を無視するのも勝手というもの。つまり「軍法」がないならば、そもそも「軍令」が意味をなさないんです。だから「合戦は現場の判断だ。いちいち命令を守っていられるか」という考え方に陥って、結果的に「武士は抜け駆けをするのがあたりまえ」という考え方になってしまうんです。軍令があって軍法がないとか「論理性の欠如した世界観」を平気で語るのが、フィクションの困った問題点でしてね。
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