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日記一覧

○本物の手紙史料だけで読み解く関ヶ原合戦、九州の中津にいる黒田如水が、吉川広家に宛てた返事の手紙。これを分析していきます。●五一号二番8月4日「返信」黒田如水「宛」吉川広家○五一号二番は「伏見城攻撃の理解」で使った史料です。前文に「先月二十

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○本物の手紙史料だけで読み解く関ヶ原合戦、このへんで九州の情勢についても確認しておきます。八月の半ばまでで、九州関係の手紙は六通です。●三二号7月15日「差出」毛利輝元「宛」加藤清正●三五号7月21日「差出」細川忠興「宛」松井康之●五一号二番8

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○本物の手紙史料だけで読み解く関ヶ原合戦、蜂須賀家政の猪山城に向けての出陣命令を出したこと。ここから推定できる状況を詰めていきます。●四四号一番7月29日「差出」長束、増田、前田、毛利「宛」佐波広忠●四四号二番7月29日「差出」毛利輝元「宛」佐

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○本物の手紙史料だけで読み解く関ヶ原合戦、今度は大坂の側、毛利輝元の八月上旬ごろの行動を詰めてみます。とはいえ、ほとんど手紙史料はないのですが…。○まず問題になるのが「四九号」八月一日付。宇喜多秀家と毛利輝元が連名で、鹿児島にいる島津家の当

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○本物の手紙史料だけで読み解く関ヶ原合戦、今度は「前線に進んでいる豊臣軍団」の、八月中旬ごろの状況を詰めてみましょう。七月二十六日に栃木を順次出発したと見られる豊臣軍団。それから約半月後、彼らはどこにいるのでしょう?●九六号9月1日「返信」

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○本物の手紙史料だけで読み解く関ヶ原合戦、家康の「八月中の行動」を詰めておきたいと思います。「八日の吉川情報」で、家康は「石田グループが当初からクーデターを画策していた」と認識した模様です。そして「十五日の妻木情報」により「ついに輝元も敵対

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○本物の手紙史料だけで読み解く関ヶ原合戦、「使者の往来」と「宣戦布告」の点から「戦争の始まり方」を考えたとき、定説とは違った状況が見えてくるのみならず、その状況に一致する史料記述が「確かにある」ことにも気づきます。○家康は当初、あくまで「石

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○本物の手紙史料だけで読み解く関ヶ原合戦、八月上旬における「大坂の行動」を考えていくにあたって、ここで根本的な重要問題を考察しておきましょう。つまるところ「東西の大決戦となる戦争」の宣戦布告は、いつ、どの段階で?○たとえば「定説で言う家康弾

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