mixiユーザー(id:63255256)

2024年05月18日00:47

25 view

「松本・文春裁判」原告側の弱点?

記事の書く「スジ書き」を鵜呑みにして、実際の「ストーリー」が見えてない人は、かえって「週刊文春の完全な取材を信じてる」ことになるでしょう。しかし「文春のほう」では、憶測まじりの記事を平気で書いてる可能性が高いんです。だって、実際問題「全部の確認」は不可能に近いんだから!

いくつかの「飲み会」だけでなく、ほかのケースも加えて、第二弾、第三弾と「量」をぶつけることで、記事のインパクトを強めていきます。その結果「同じような飲み会に、私も参加しました」という情報提供が出てくれば、これ幸いと、ろくに確認取材もしないままで「同じことをしたのだ」と断定します。そこで名指しされた「後輩芸人」は、いい迷惑ですから、「事実が違う」のであれば、文春を訴えるでしょうし、そしたら文春は敗訴します。しかし「裁判の終結」までに一年ぐらいはかかるのだし、敗けたところで「名誉棄損の慰謝料」なんざ、200万ぐらいが関の山。「そんなのは必要経費だ!」ってわけ。とにかく文春の目的は「超有名芸人をたたく」ことだから!

記事の書く「スジ書き」には「後輩芸人の立場」がカットされてます。でも、それは「スジ書きを単純化するため」にカットしたのではなく、そもそも文春にとって「関係ない」からカットした可能性。ターゲットにされた原告芸人は、記事の内容の「一つ」でも事実であれば、一回でも「やっちゃってる」なら、それが強制性交ではなく「不同意性交」でも「タレント生命は終わり」ってもの。さらに言えば、一つも事実がないとしても、「一つの確実な密室」さえあれば「消せない疑惑が残ってしまう」じゃないですか。文春からすれば「週刊誌に見つからないように、ホテルのスィートルームに隠れたことが、策に溺れるってやつだよ、ざまあみろ!」ってもんです。よって「原告の立場」では「たとえ後輩芸人が、裁判で一つの件をくつがえしてくれた」ところで、なんにもならないんです。すべての記事内容を「否定」するのが、勝利の絶対条件!

これが、文春の書いた「スジ書き」とは違う「本当のストーリー」です。こんなのは簡単に「読める」ことなのに。そして、この「ストーリー」上で原告側は「どういう裁判をするか?」ってことなんですよ?
4 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する