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日記一覧

○前回に続いて、忠利が二月八日に書いた手紙。第四文から、一気に最後まで。●忠利九一四「2月8日」第四文〜第七文「一つ、こちらに上様御勘当の浪人衆、または各家の使者、または浪人(が来ていて)当家が三ノ丸を取りに出るとの話を聞いたなら、無闇と参

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○前回までは、忠利が「二月四日に送った手紙」と、それを読んだ忠興が「二月十一日に書いた返信」を合わせて読んできましたが、今度の手紙は二月八日です。●忠利九一四「2月8日」第一文〜第三文「一つ、全軍をこの間は待っていて、仕寄をしていなかったの

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○忠利が「二月四日の現況」を、京都にいる忠興へ報告した手紙。忠興の返書に合わせて、内容を見てきました。一月二十六日に現地へ到着した忠利ですが、ここまでの手紙を見てきた限り、まったく「戦闘をしているようすがない」んですよね。幕府軍は「黙々と仕

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○忠利が「二月四日の現況」を、京都にいる忠興へ報告した手紙は、前回に全文を提示しました。その手紙を読んだ忠興の送ってきた返書と合わせて、内容を見ていきます。忠利の手紙には「唐の者」と「オランダ舟」の話がありました。●忠興一五一二「2月11日」

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○戦地に到着した忠利が、現況を手紙に書いたのが一月二十九日です。今度は二月四日時点の現況報告です。少しの間に、戦地では状況変化があった模様。長めの手紙ですけども、箇条書きの形式ではないので、一気に全文を逐語訳にします。●忠利九一三「2月4日

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○二月四日に忠利が書いた覚書き。しかし本文を読みますと、忠興へ送るつもりで書いたもののようです。内容は、今までの手紙にあったことと、おおよそ同じですが、少し詳しい記述になっています。特に第二文は必見です。●忠利九一二「2月4日覚書」第一文〜

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○忠興の送ってきた質問に、いちいち答えていく忠利の手紙。「一、何々」のところが質問の書写で、その後が忠利の返答です。第三文までを見てきましたが、次の第四文は、とても難解ですねえ。なんとか逐語訳にはしてみましたが。●忠利九一一「2月4日」第四

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○謹賀新年。手紙史料は二月ですけどね。忠興の送ってきた質問に、いちいち答えていく形式です。「一、何々」のところが質問の書写で、その後が忠利の返答です。とはいえ第三文は、原城の戦況に直接の関係性はありません。●忠利九一一「2月4日」第三文「一

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