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日記一覧

○本物の手紙史料だけで読み解く関ヶ原合戦、最初に確認しておくべきは、両軍の兵力数ですね。まずは関東の側からいきましょう。定説化している話だと「中仙道で前線に向かっていた秀忠軍が、真田昌幸に足止めされたせいで、関ヶ原の決戦に間に合わなかった」

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○本物の手紙史料だけで読み解く関ヶ原合戦、ようやく本題の「関ヶ原合戦」に入ります。とはいえ、合戦の状況を直接に書いた手紙史料は、わずかに一通だけ。●一〇九号9月15日「差出」徳川家康「宛」伊達政宗○短い手紙なので、全文を出しておきましょう。「

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○本物の手紙史料だけで読み解く関ヶ原合戦、岐阜戦と同時期に「別の籠城戦」が継続中であることも、忘れてはいけません。その一つが石川県の小松城。●一〇五号9月13日「差出」徳川家康「宛」土方雄久○前田利長の小松城包囲戦については、すでにたっぷり書

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○本物の手紙史料だけで読み解く関ヶ原合戦、岐阜戦と同時期に、もう一つ大きな問題があります。栃木県にいた徳川秀忠が、長野県の真田昌幸を攻めたこと。俗に「秀忠は真田のせいで足止めされて、関ヶ原合戦に遅参するという失態をおかした」と言われる件です

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○本物の手紙史料だけで読み解く関ヶ原合戦、ここで一旦、岐阜を離れて、同時期に上杉家がどうしていたのか、その点を見ておこうと思います。●五三号8月2日「差出」長束、増田、石田、前田、毛利、宇喜多「宛」真田信之●景勝公御年譜8月24日「差出」上杉

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○本物の手紙史料だけで読み解く関ヶ原合戦、前回は「黒田長政が吉川に宛てた手紙」を解析しました。今度は「小早川秀秋に宛てた手紙」です。●六一号三番8月25日「差出」黒田長政「宛」吉川広家●学術文庫8月28日「差出」浅野幸長、黒田長政「宛」小早川秀

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○本物の手紙史料だけで読み解く関ヶ原合戦、岐阜城が降参した日、犬山城が降参した日、どちらも正確に詰められそうもないのですが、別の点から見てみます。●六一号一番8月8日「返信」徳川家康「宛」黒田長政●六一号二番8月17日「返信」黒田長政「宛」吉

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○本物の手紙史料だけで読み解く関ヶ原合戦、岐阜城の降参後に、犬山城が降参退去。それまでに何日を要したのか、この点をもう少し詰めてみます。●家康文書9月3日「返信」徳川家康「宛」加藤貞泰、竹中重門●家康文書9月5日「返信」徳川家康「宛」加藤貞

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