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日記一覧

○誤解やら風評やらで、忠利が「状況の説明を繰り返す」おかげというもの、次第に「原城攻め」の状況がわかってきました。いずれ最低限に整理するつもりですが、今は先を急ぎます。三月三十日付「九二九番」が届いて、忠興の返書。●忠興一五一九「4月10日」

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○一つボタンを掛け違ってしまうと、文章の理解はどうにもならなくなるようですね。三月三十日に忠利は、またも手紙を書いています。第一文の冒頭は、原文で「一、我等本丸へ二十七日に乗込候事、相違之様に其元に沙汰御座候由、何程申候ても不苦儀に御座候」

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○前回までに、忠利の「九二八番」と、それに忠興が返信した「一五一八番」の内容を解説してきました。江戸の留守居が「御隠居様は、殿様が本丸一番乗りをなさったことも、大将首を御取りのことも、信じてくださいません」と報告してきたので、忠利は「すべて

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○忠利の「九二八番」と、忠興の返書「一五一八番」は誤読されています。細川家が「本丸一番乗り」と「大将首」という「二つの大手柄を立てた」ことに、江戸では「妬んで、悪口を言う者たちがいる」ので、忠興は「自慢話をして回るなよ」と「江戸の留守居たち

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○前回までに見た二通の手紙。その内容を整理する前に、落城情報の流れを確認します。城乗り開始は二月二十七日で、その最中に忠利が一報を送りました。これを忠興は、静岡県の島田で三月六日に受け取っています。次に忠利が、落城の詳細報告を三月一日に送り

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○手紙はタイムラグが生じるもの。ゆえに理解が難しくなります。時系列を整理しておきましょう。京都を出発した忠興が、江戸へ到着したのが三月十日。熊本藩の留守居役「加々山主馬たち」が、江戸の下屋敷で忠興を出迎えました。そして加々山は「忠興様の御無

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○前回に、忠興の返書で「江戸の状況」を見ました。さすがに忠興はハッキリした言葉で書きませんでしたが、原城攻めの報告を受けた将軍が、どうも激怒している模様。それを知らないままで、忠利はほかにも三月中に手紙を書いています。○忠興が三月十日に江戸

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○前回に、忠利が書いた「黒田家批判」の手紙を見ました。細川家の手柄であるはずの「本丸一番乗り」と「大将首」を、「黒田家が横取りしようとした」かのような話でしたが、客観的状況とは一致しかねる内容だったわけです。そしたら次は「忠興の反応」です。

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