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日記一覧

●徳川実紀の条文3日「京都で大仏供養があるので、妙法院門跡常胤法親王は駿府を辞去して、帰洛された。開眼供養の導師は仁和寺門跡覚深法親王に勅命があったと、金地院崇伝が報告した」○八月の「方広寺大仏開眼供養」も間近に迫って、いよいよ『徳川実紀』

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●細川忠興の手紙15ー1「銀子を届けさせるついでに書いた」「銀子を持たせて江戸へ行かせること、状況は右近、主水、十右衛門が伝えるだろう」「藤泉州に、このたびと、このあいだの銀子の礼状、書いて持たせたので、そのようにするように。また、上ヶ石のこと

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●細川忠興の手紙14ー1「病気見舞いの七月二日の手紙、読んだ」「私の病状は相変わらずで、食事の量が減っている。まあこんなもんだろう、と思っている」○七月の手紙です。忠利の書いてきた手紙が七月二日の日付ですから、半月余りで届いています。すなわち、

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●徳川実紀の条文22日「片桐市正且元、大野修理亮治長が、駿府で拝謁。すぐに江戸へ赴いた」○六月の条文です。先月、駿府に来ていた片桐且元が、再び到来してきて、家康に拝謁。今度は大野治長も一緒です。大野は、秀頼の側近中の側近だったと言われる人物で

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●徳川実紀の条文6日「信濃国小諸城主の仙石越前守秀久が死去。その子、兵部大輔忠政が、遺領の五万石を相続した」○前の手紙で忠利が報せてきた「仙石秀久の死去」は、『徳川実紀』の五月六日条に記載されていました。ほかにも、加賀の前田利長が二十日に死

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●細川忠興の手紙13ー1「五月十七日、同十二日の手紙が到着した。どちらも読んだ」「江戸は特に変わりもないそうで、珍重である」「仙石越前が亡くなったとのこと、よくわかった。兵太に、すぐに見舞いを、誰か行かせるように」「兵太は上の覚えもよく、跡目相

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●細川忠興の手紙12ー1「四月二十四日の手紙、それから、駿河で出した手紙の返事、どちらも届いて、読んだ」「曽又左の病気は悪化してないそうで、まずまず珍重である。だとしても、医師の慶庵が向かったという話は気がかりだ。ようすをまた書いて送ってくれ」

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●細川忠興の手紙10「手紙を読んだ。端午の節句で、着物が三つ、内の一つは反物、頂いたのは喜ばしい。今回の旅は、無事に昨日三十日、吉田に到着した。四日にここを発って、国へ向かうだろう。また国許に着いたら報せる」○この手紙は五月一日に書かれたもの

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●細川忠興の手紙9ー1 「駿府では手紙を書く余裕もなかったので、藤枝で書いている」「二十一日、駿府に到着。二十二日、御目見えをしたら、いろいろと申し訳ない御心遣い。そのなかでも、私が昨日、駿府に到着したことをお耳にされてから、私の登城を楽しみに

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●徳川実紀の条文19日「京都所司代の板倉伊賀守勝重より、京都の大仏の鐘が鋳造されたこと、注進があった」○いわゆる「鐘銘事件」の例の鐘です。できあがったとの報告です。出典が「駿府記」なので、家康のもとに報告が届いてきたという意味でしょう。ただし

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●細川忠興の手紙7ー1 「おまえのこと、前の手紙に書いたように、出て来ないで済むように、ずいぶんと本佐州に相談したのだが、とにかく来ないでいるのはよくないと、佐渡殿も大炊殿も言われるので、早々に出てきなさい。土産物もお金もこちらにあるので、用意

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