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日記一覧

○本物の手紙史料だけで読み解く関ヶ原合戦、「岐阜戦の終了」について、もう少し詰めておくことがあります。定説化している展開では、二十三日に岐阜城を攻撃し、その日のうちに攻め落として、翌二十四日には「揖斐川を越えてきた石田軍」と戦って、その勢い

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○本物の手紙史料だけで読み解く関ヶ原合戦、長々と書いてきた「岐阜攻め」について、ようやく終わりが見えてきました。残るのは「戦後の始末」に関して。●七七号8月22日「差出」井伊直政、本多忠勝「宛」(家康披露状)○七七号に「兼て如申上、犬山は御味

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○本物の手紙史料だけで読み解く関ヶ原合戦、大垣に戦場が移る前段階、前哨戦となる「岐阜攻め」について、一通の手紙史料を解読してきました。改めて全文を、原文で出してみます。説明のため、文章ごとに数字を振っておきます。●七七号8月22日「差出」井伊

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○本物の手紙史料だけで読み解く関ヶ原合戦、いよいよ家康が江戸を出陣です。●七七号8月22日「差出」井伊直政、本多忠勝「宛」(家康披露状)●九六号9月1日「返信」徳川家康「宛」福島正則、黒田長政○七七号によって「岐阜城の包囲開始は二十三日の朝」

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○本物の手紙史料だけで読み解く関ヶ原合戦、これでようやく岐阜戦の展開が、ほぼ確定しました。とはいえ、詰めておくべきポイントは、まだ残っています。●七七号8月22日「差出」井伊直政、本多忠勝「宛」(家康披露状)○七七号が二十二日付で「明日から岐

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○本物の手紙史料だけで読み解く関ヶ原合戦、一つのデータが加わるごとに、理解が微妙に変化していきますね。このように「塗り重ねるように理解を整えること」が分析です。ポンと答えが出て終わりなら、それは「思いつき」なんです。○大坂の側も、豊臣軍団も

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○本物の手紙史料だけで読み解く関ヶ原合戦、もしかすると「岐阜城包囲戦で、東西両軍の大決戦になっていた」かもしれないところを、石田三成の「戦線を下げる」判断により、戦場が大垣に移っていった模様です。岐阜城で「万全の籠城態勢をとっていた」織田秀

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