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日記一覧

○本物の手紙史料だけで読み解く関ヶ原合戦、同じく「七月末の行動」を、今度は毛利輝元の側で詰めていきます。関連の手紙は四通です。●四四号一番7月29日「差出」長束、増田、前田、毛利「宛」佐波広忠●四四号二番7月29日「差出」毛利輝元「宛」佐波広忠

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○本物の手紙史料だけで読み解く関ヶ原合戦、いよいよ「戦争の勃発」と言える状況になってきました。徳川家康の「七月の行動」を詰めておきましょう。●四〇号7月26日「返信」徳川家康「宛」堀秀治●四二号7月27日「返信」大久保忠隣、本多正信「宛」山内一

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○本物の手紙史料で読み解く関ヶ原合戦、新情報が届きはじめた関東の情勢を、さらに見ていこうと思います。関連の手紙は五通です。●三九号二番7月26日「返信」徳川家康「宛」京極高次●四〇号7月26日「返信」徳川家康「宛」堀秀治●四一号7月27日「返信」

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○本物の手紙史料だけで読み解く関ヶ原合戦、大坂では七月二十三日までに、毛利輝元も奉行衆も、石田三成によって「家康を敵対視する」よう「仕向けられていた」ことが確認できました。細部で不明な点もありますが、それはまたあとで詰めるとしまして、同時期

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○本物の手紙史料だけで読み解く関ヶ原合戦、大坂奉行衆が「家康を敵視するようになったこと」について、前回は考察しました。今度は毛利輝元です。○輝元の初期の行動を整理しておきましょう。十五日に広島を船出した輝元は、十六日に兵庫県の明石に寄港。迎

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○しばらくできなかったのですが、作業を再開します。本物の手紙史料だけで読み解く関ヶ原合戦、伏見城攻撃の「裏側」が、ようやく確認できたというところ。石田三成の戦争計画において、徳川家康を「戦争に引っ張り出す」ためには「どうしても落としておきた

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