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日記一覧

○二十一日の未明に敵の夜襲。それの詳細報告を書き送ったのが二十三日。その間の二十二日に忠利は、別の手紙を書いていました。忠利の四日付「九一三番」に、忠興が返事を書いた十一日付「一五一二番」が届いたので、その返信を書いた「九一八番」です。内容

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○二十一日の未明に敵の夜襲があって、すぐに忠興へ一報を送った忠利。二十三日には詳細報告を送りました。実は、そのあいだに「もう一通」あるんです。忠利が四日付で送った現況報告「九一三番」に、忠興が返書「一五一二番」十一日付を書いていましたが、そ

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○籠城軍が夜襲をかけてきたことで、黒田家にかなりの被害が出た模様です。前回は、詳細報告の「九一九番」を第七文まで書きました。まずは残りの文章です。●忠利九一九「2月23日」第八文〜追伸「一つ、鉄砲の火薬箱を二つ取られたそうです。鍋島軍には首数

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○忠利は十六日付の手紙「九一五番」で「だいたい二十日前後に三ノ丸へ押し込むのではないかと、踏んでおります」と書いていました。しかし二十日になっても城乗りは始まりませんでした。その結果、先に動いたのは敵の側だったのです。●忠利九一七「2月21日

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○江戸へ使者を送るついでに、京都の忠興へ手紙を送った忠興。その二日前にも手紙を送っていました。前の手紙「九一五番」十六日付の「現況報告」第二文をもう一度。続いて、次の手紙「九一六番」十八日付の「現況報告」第二文です。●忠利九一五「2月16日」

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○前の手紙から二日後に、忠利はまた手紙を書きました。新たに伝える情報があったのと、江戸へ使者を送る事情になったからです。それが第一文に書いてありまして、第二文は現地の状況報告です。その二つだけの短いもの。この手紙には忠興の返書が残っています

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○前の手紙から八日を過ぎて、次の現況報告は二月十六日です。全文を逐語訳。●忠利九一五「2月16日」前文「わざわざ飛脚を出して報告します」「一つ、こちらは変わりもありませんが、その後に状況をお伝えしませんでしたので、心細く思っておられるのではと

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