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日記一覧

○羽柴秀吉が「本能寺の変」の実行的計画者(黒幕)であるという説は、ともかくとして、秀吉が「なんらかのかたちで事件に関係していた」と解釈する向きは少なくありません。秀吉が事件の一報を得たのが「六月三日の夜」とされるからですね。この「日付」を否

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○「実は信長、本能寺から脱出していた」とかってヨタ話ではありません。信長の敗死は動かしようもないことです。ただ、とても興味深い手紙がありましてね。●六月五日「羽柴秀吉の中川清秀宛」「自是可申与存刻、預示快然候。仍只今京より罷下候者、慥申候。

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○「本能寺の変」は秀吉が黒幕だった、という陰謀説があります。フィクション作品として見る限りは、面白いんでしょうけどね。実際には成立しませんので。○私が合戦監修をしたマンガ作品『信長戦記』には、前田利家が出てこないんです。信長ネタのマンガで「

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○天正十年、備中の高松城に対して、秀吉がやったとされている「水攻め」です。○まず問題となるのが「水攻め」の意味です。これを「城に攻撃を仕掛ける手段の一つ」と解釈するならば、具体的に「水を使うことで、どういう攻撃をすることになって、城が落ちる

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○防備の足りない城は、乗り崩されます。防備を固めていても、干し殺しをくらえば、最終的には落ちることになります。どちらにしても、城は「落ちる」しかないのです。それがわかっていてもなお、城将が「籠城を選択する」のは、味方の軍勢が「来援すること」

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○天正九年「羽柴秀吉の鳥取城攻め」は、六月二十五日に出陣して、十月二十五日の落城。約四ヵ月に及ぶ「干し殺し」で、城が落ちたわけです。●『信長公記』巻十四「城中より降参の申し様、吉川式部少輔、森下道祐、日本介三大将の頸を取進すべく候間、残党扶

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