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2018年06月24日01:15

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本史関ヶ原103「秀秋裏切りの背景」

○本物の手紙史料だけで読み解く関ヶ原合戦、「一事が万事」という言葉があります。ここまで解析してきた結果、大坂側を裏切ったのは秀秋だけの模様。しかし定説化している解釈では、あっちでもこっちでも裏切りです。ところが「裏切り者」とされている者たちを見れば、要するに「戦場に出てきて、戦うことをしなかった者」なんですよね。岐阜戦に出てこなかった犬山城の石川。関ヶ原に出てこなかった大津城の京極。南宮山にいながら関ヶ原へは出なかった吉川。大坂城から動かなかった増田。つまりは「戦略的防衛配置」も「後方任務」もないような「攻めて殺し合うだけの単純な合戦」をしている解釈だからですね?「秀秋の裏切り」という一例があるものだから、なんでも「裏切り」で解釈しちゃえばいいってだけ。そして「戦国時代は裏切りが当然だった」と言えば済むわけです。

○けれども「関東の側」では裏切った者がいないじゃないですか。よって必然的に「西軍は裏切りが続出したけど、東軍には裏切りがない。だから西軍は敗けたのだ」という「解釈」になるんでしょうね。ゆえに「人望がない石田三成。能力的には優秀だけど、味方を結束できなかった」という解釈です。だったら「戦国時代は裏切りが当然だった」のではなくて、単に「石田が嫌われたので、裏切られただけ」ってことじゃないですか。だとすれば「戦国時代といえども、裏切りは基本的にない」ってことでしょう?「裏切りは、よくある話だ」という前提がおかしいんじゃないですか?「根本設定」が矛盾しているんです、定説は。

●一〇八号9月14日「差出」井伊直政、本多忠勝「宛」平岡頼勝、稲葉正成

○基本的に「誰も裏切らない」のなら、なぜ秀秋だけは裏切ったのでしょうか。前回に一〇八号を読解しましたが、意味としては「そこを動かないでくれ」だったわけです。大垣包囲戦を後方に「残したまま」で、先へ行くことになった関東側。その際に「敵の一角」を占める小早川軍が「動かないでくれる」ということは、大坂側の布陣する地域に進出しても「小早川軍だけは攻撃してこない」ということです。それを徳川家では「起請文」で申し入れました。「こちらは秀秋を攻撃しません。こちらが勝利しても、秀秋を敵だと見なしません。だから攻撃してこないでください」と伝えたわけです。そして実際、関東側は「石田たちの布陣する場所」へ向けて、中仙道を西進したじゃないですか。けれど秀秋が「大坂側の一軍として、当然のように関東側を攻撃してきた」場合、家康はどうするつもりだったんでしょうね?「神文」の紙切れ一枚で「秀秋は攻撃してこない」と信じられるんですか?「信じられない」のに家康は、関ヶ原へ出たんですか?

○結果を言えば、秀秋は寝返りました。しかし「定説化している話」では、優柔不断に迷ったあげく「家康に鉄砲でおどされて、慌てて寝返った」という解釈です。ゆえに「秀秋が西軍を裏切らなければ、東軍は勝てなかった」と解釈する人も多いです。それすなわち「一か八かで勝っただけ」ってことですが、『孫子』の言葉は反対でして「勝兵は、まず勝ちて、しかるのちに戦いを求め、敗兵は、まず戦いて、しかるのちに勝ちを求む」です。つまり家康は「秀秋が攻撃してこないと信じられる。だから勝てると判断した」ので「関ヶ原へ進んだ」はずなんです。「そんなことを信じられるわけがない」と思う人は「裏切りだらけの定説解釈」を信じているからですよ。結果に合わせて作った物語だから「裏切り者なんかを信用して、一か八かの賭けをする」という展開にして、それでも勝利した話にできますが、現実は逆で「信用できる者だから、味方に誘った」んですよ?

○「信用できる者ならば、そもそも裏切るはずがない」と思いますか?「そのとおり」なんですよ。なのに裏切らざるをえないのだから、そこにはよくよくの事情があるはずなんです。けれど「定説化している話」では「裏切りなんて、よくある話」にしているもんだから、どんな事情が背景にあるのか、何も解釈していないじゃないですか。たとえば、黒田長政が裏切り工作を仕掛けたとされる手紙。

●六一号三番8月25日「差出」黒田長政「宛」吉川広家
●学術文庫8月28日「差出」浅野幸長、黒田長政「宛」小早川秀秋

○吉川に送った六一号三番は、黒田長政が一人で出しているもので、文中に「家康が駿河府中まで来ている」の記述がありました。一方、秀秋に送ったほうは、浅野幸長と連名です。こちらには「二三日中に家康が到着」の記述があったわけです。どちらも「嘘の情報」ではありますね?「家康が江戸を出陣した日」は九月一日以降なわけですからね。それを「現代の人間」が「長政は嘘を書いて、騙そうとしているのだ」と解釈するのは簡単ですが、実際には「家康が出陣したかどうか、前線にいる豊臣軍団も知らない」状況なのだし、大坂の側では「家康は出てこられないと思っていたらしい」と分析したじゃないですか。だからわざわざ長政が「あなた方の情報は間違っていますよ。家康公は出てきますよ」と「正直」に教えているわけですよ。でも、この手紙が確かに届いたとして、受け取った側で「内容を信じるかどうか」は別問題だと私は言ったはず。吉川からしてみれば、長政は「友人である黒田如水の息子」です。如水の手紙だったら信じられるかもしれませんが、息子の手紙まで、どこまで信じられるでしょうか。しかし秀秋にとって、浅野幸長と黒田長政は「北政所のもとで一緒に過ごした仲」だってことでしょう?「手紙の内容」は、そのことを書いていたわけでしょう?

○一つ対応を間違えてしまえば、地位も財産も失うだけでなく、命も危うくなるのが「現実の合戦」です。誰を信用するべきか。何を信じるべきなのか。真剣な判断が求められます。すなわち「合戦の解釈をする」ということは、それを「自分でも真剣に考えてみること」なんですよ。フィクションという「架空世界」の中であっても「本気で命がけになったつもりで考えてみる」んです。それができないってことは「廟算もできない」ってことですから、合戦がわかるはずもないんです。ちなみに歴史小説にも時代劇にも「廟算シーン」はありませんでしょ?
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