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2017年08月16日01:18

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本史関ヶ原27「上杉家の動向」

○本物の手紙史料だけで読み解く関ヶ原合戦、前回の関連で、この時期の「上杉の状況」についても確認しておきます。

●景勝公御年譜7月14日「差出」直江兼続「宛」榎並、本村、上泉、車
●景勝公御年譜7月19日「差出」上杉景勝「宛」白河在番衆
●五七号8月4日「差出」直江兼続「宛」小田切、車、本村、青柳

○まずは七月中の手紙から。確実に本物と見なせるのは二通のみ。十四日付のほうで宛名になっているのは、福島県福島市の者たちだそうです。直江は「白石の処置で、御検使が向かう」と伝えています。宮城県白石市は、仙台市と福島市のあいだに位置していて、伊達領と接している上杉領。「伊達家に対する最前線の地域」となりますから、防備を強化しているのでしょう。「あなた方も手勢を出し、白石まで(御検使を)送り届けて、一両日中はそちらに滞在すること」と書いたうえで、「そちらへ政宗が出てきた場合は即座に対処せよ。みんな油断なきように」と命じています。伊達政宗が仕掛けてくる可能性を想定しているわけですね。

○十九日付のほうは、白河の小峰城を防衛する者たちへ、景勝が送ったものだそうです。もちろん「栃木に集結している徳川軍と豊臣軍」に対しては、最前線の防衛拠点となる場所です。内容は「戦陣の定め書き」ですね。「芋川越前守、平林蔵人、西方次郎右衛門の指図に従え」と命じ、その次に「敵が動いてきても、あちこち走り回るようなことは一切するな。各人がよく相談し、凶事のないように行動することが大事だ」と言っています。防衛を第一として、攻撃行動を控えるように命じるのは、本物の手紙史料ならではのこと。とはいえ、それを逆に言いますと、いちいち景勝が「余計な攻撃に出るな」と指示しなければならないくらい、家来たちのほうでは「安易に攻撃したがる」ってことなんですけどね。

○八月四日付の五七号は『上杉家御年譜』にも掲載されています。『日本戦史関原役』にしてからが、『上杉家御年譜』より採録しているんです。それでいて七月の二通は採録していないのですから、ちょっと不思議です。宛名のうち、本村造酒丞と車丹波守は十四日付の手紙と共通で、どうやら「福島城にいる者たち」へ出された模様です。直江は「梁川へ加勢に行った者たちは、無事に移られましたでしょうか」と問い合わせています。梁川は、福島市の北東で、白石市の南に位置しますので、白石の防衛強化だけでなく、後方の梁川にも配備を増加して、支援態勢を調えたのだと見られます。また「そちらの建築工事のこと、在陣する者たちで相談したうえで、必ず命じてください」と書いていて、福島城も防衛強化のために「城の整備をせよ」と言っています。ともかく防衛が第一なんです。なお、この手紙には追伸があって、「なんとしてでも、政宗を取り逃がすことのないよう、調えておきたいのです。細かな状況を報告してください」ですって。

●五四号8月3日「返信」伊達政宗「宛」井伊直政、村越直吉
●五五号二番8月4日「差出」長束、石田、増田、前田「宛」松井康之
●一二五号9月29日「返信」伊達政宗「宛」村越直吉、今井宗薫

○五七号が本物であれば、五五号二番の記述「伊達も最上も上杉に味方」は嘘になるわけですよね。五四号でも政宗は「世の中の浮沈がどうなろうと(私は内府様に)御奉公するつもりなので、御安心ください」と書いています。もちろん政宗は嘘をついていません。一二五号は九月に書かれたものですが、山形市内で勃発した上杉と伊達の合戦衝突「長谷堂城の戦い」に関連する手紙で、本物と見られます。こうして「結果的に上杉と戦っている」以上、徳川の味方に決まっているわけですね。じゃあ直江が嘘をついて、「本当は政宗を敵視している」のに、大坂へは「伊達を味方にできた」の「虚報を送った」と考えてみます?

○定説では、七月中に白石で、上杉と伊達は合戦衝突をしていることになっています。『上杉家御年譜』でも「七月二十七日に戦闘があった」としています。けれど、八月三日付の五四号も、四日付の五七号も、内容を見る限り「戦闘状態になっているようす」が全然ないんですよね。では、なぜ政宗は五四号で「もう戦闘を始めている」の報告を書かなかったのでしょうか?「それは、政宗が嘘をついているからだ」というのが「定説の解釈」です。「戦争なのだから、手紙に嘘を書くのも当然なのだ」と解釈したがる歴史家は、少なくありません。でもね、そういう考え方をしたが最後、史料分析なんて何もなくなってしまうんです。すでに定着しているストーリーと、合っているところは「事実を書いている」と採用して、合わないところは「嘘を書いている」と切り捨てるだけ。「史料記述から何かを理解する」のではなくて、「出来合いのフィクションに、史料記述の中で都合のいいところだけをあてはめている」にすぎないわけでしてね。

○たとえば直江は、「政宗が白石方面に仕掛けてくる可能性」を想定し、防衛態勢を調えています。ところが「政宗は仕掛けてこなかった」のなら、直江の想定は「間違っていたことになっちゃう」と勘違いして、「直江の想定どおりに伊達軍は仕掛けてきて、上杉軍は見事に撃退した」とすることによって、「さすがは知将の直江。すべてお見通しだね」という話に作るんです。本物の手紙史料の中で「敵の行動予測」をしていると、「予測どおりになった」の結果を作り、本物の手紙史料がない場合は、実際に起こった「結果」に合わせて「最初から見通していた」の偽書手紙を作るわけ。よって「偽書をベースにした物語」では、兵法に基づく初歩的な予測を誰もしない代わりに、論理の吹っ飛んだ予知能力を発揮します。現実は逆です。「直江が敵の行動予測をして、的確に備えてみせたから、伊達軍は攻めてこなかった」んです。ゆえに直江は「次の行動予測をし、次の備えをしてみせる」んです。本物の手紙史料を順に見ていけば、詰め将棋にも似た「手すじ」が見えるものです。その「手すじ」こそが、実は「戦術」なんですけどね。だから偽書には「まったく戦術がない」んです。合戦のことを書いている手紙であれば、偽書か本物か、見分けるのは簡単です。
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