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2017年08月12日03:19

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本史関ヶ原26「三成は嘘を重ねる?」

○本物の手紙史料だけで読み解く関ヶ原合戦、石田三成の策略について、もう一歩さらに踏み込んでみたいと思います。「最も謎めいた手紙」の解読です。

●五五号二番8月4日「差出」長束、石田、増田、前田「宛」松井康之

○細川家の飛び地領、大分県の杵築を預かる家老の松井康之。石田を加えた三奉行が「領地を明け渡しなさい」と命じる五五号二番。この手紙には不思議な記述があるわけです。「関東に関しても、伊達、最上、佐竹、岩城、相馬、真田安房守、景勝らが申し合わせて、敵対していますので、すぐにも関東八州の支配はできなくなります」の文章です。原文だと「関東之儀も伊達最上佐竹岩城相馬真田安房守景勝申合、色を立候に付而、則八州無正体事候」です。「色を立てる」とは「旗色を鮮明にする」の慣用句もあるように、敵対することの意味です。「正体なく」は「支配の崩壊」を意味します。列記された名前の中で、岩城と相馬はハッキリした動向がわからないのですが、茨城の佐竹が「上杉景勝の味方」であったことと、長野の真田安房守昌幸が「西軍に付いた」ことは、定説も語るとおりに「知られた話」です。一方で、伊達と最上が「東軍に付いて、上杉と戦った」ことも、定説では「普通に知られた話」です。ところが「伊達も最上も上杉に味方して、徳川と敵対している」と書いてあるわけなんですよね。

○五五号二番には、もう一つ変な話が書いてあります。「上方から行った者たちも、妻子を人質に大坂で押さえてあるため、これまたいろいろと懇願してきています」の文章。原文だと「上方より罷立候衆も、妻子人質於大坂相究候故、是又種々懇望候」です。つまり「会津出陣に行った福島たち豊臣軍団は、われわれ大坂側に泣きついてきているので、徳川に味方するはずないですよ。だから、細川家を助けてくれる者はいませんよ」と言っていることになるわけです。

○「おかしな内容」ですけども、考えてみようじゃないですか。まずは一つめの仮定です。八月二日に大坂衆が、真田信之ら「遠方で在国している者」へ送った決別宣言。このときに東海地方の豊臣軍団の居城へも「別文だけど、同様の内容を送った」としてみます。しかし岐阜城でさえも最短で往復六日なのですから、四日の時点で返事が来ているはずもありません。よって二つめの仮定です。七月二十五日ごろ、岐阜の織田秀信に「意思確認」をしただろう際、「豊臣軍団にも使者を送った」とするならば、時間的には可能となります。もちろん「福島正則たち豊臣軍団は関東に出陣中」なのですから、居城の留守番家老が返事をすることになるわけです。そのときに、たとえば福島家の家老が「ウチの殿様は、徳川家の味方をするに決まってるだろ。豊臣家に従うわけがないんだよ」とかってふうに、いきなり「ケンカを売る」ような返事をすると思いますか?

○ほら。「おかしな内容」のはずが、状況を詰めていきますと、実は「現実的」なんです。ちなみに「二日の決別宣言」では「関東へ行っている者も異議はないだろう」の推測だったのが、四日の五五号二番では「上方から行った者たちも懇願してきています」に変わるのですから、「二日の時点では問合せ中」で「四日には返事が来ている」と言えそうですよね。または「決別宣言を発した二日の前後ごろ、大坂屋敷の留守居衆に問い合わせた」と見るべきかも。ともかく、領国だろうと大坂屋敷だろうと「大坂で人質を押さえられている」うえに「殿様と連絡がついていない」状況にあって、留守居の一存で「豊臣家に宣戦布告する」はずもないってことなんです。

○ただし「伊達と最上」の話は別問題。もしもこれが「伊達や最上、岩城、相馬なども徳川に味方しない」とだけ書いてあるのなら、これらの東北大名も大坂城下に屋敷を持っているのですからね、同様に「留守居衆と話をして、そういう返事を得たのだ」と見ることが可能でしょう。けれども「上杉と申し合わせて、徳川と敵対している」の記述です。「だから徳川は関東の支配もできなくなる」と言うのですから、「徳川と戦う意思があるし、準備もできている」の意味となるわけです。これほどの内容を「大坂の留守居衆が知っている」のであれば、東北大名たちは「会津出陣の準備を始めたころ」から密かに話し合っていて、家康が会津へ出たとき「急に裏切って、敵対する手はずだった」ことになってしまうじゃないですか。しかも結局「この話」は嘘でしかないわけで、伊達も最上も「徳川の味方」が実際です。では、いったい「誰が嘘をついている」のでしょうか?

○「直江と石田が事前に共謀し、連絡をとっていた」のであれば、直江が「伊達も最上も味方にできた」と報せてきたことになり、「大嘘つき」は直江です。反対に「事前の共謀がない」のなら、奉行衆が松井を威嚇するために「伊達も最上も上杉の味方だ」と嘘を書いたことになりますが、署名の「奉行衆」の中に「石田もいる」わけでして、すなわち「石田は嘘つき」です。定着しているイメージとは裏腹に、直江と石田、どちらかは嘘つきだってことになるんです。この手紙を偽書だとして、否定してしまうのは簡単ですが、しかしですね、偽書というのは「いかにも本物っぽく見せるもの」でないと「本物だと思ってもらえない」のですよ。だからこそ、世間に定着した話に沿って「偽造される」んです。「天下取りの物語」では、これから東西間の全面戦争です。「細川幽斎の籠城」にしても、「東軍に付いた者を西軍が攻めている」だけの意味で、各地で勃発する「東西間の衝突」の一つでしかないわけです。それなのに「徳川は東北大名との戦争で何もできないから、大坂は丹後の戦争に全力投入する」なんて話を書く手紙。こんなものを信じる人はいないのだし、現に、無視されてきていますよね?

○ところが、現実の合戦を正確に理解すると、話は逆になるんです。「丹後の戦争を全力で終わらせること」が重要なんです。前田利長が出陣してくる前に、徳川軍が支援に出てくる前に、田辺城は落としてしまわないと、やがて全面戦争に拡大してしまうんです。その「理解」の中で、この話。「東北大名たちが揃って上杉を支援するので、上杉は反攻に出る」というのなら、「徳川は前田を支援できない」ことになるのです。そのうえ「関東へ出た豊臣軍団も大坂に従う意思を見せている」のであれば、次に考えるべきは「大坂に従わない前田の処分」となるのです。よって「田辺城の包囲を継続し、前田がどう出るのか、確かめておく必要がある」ことになって、だから「田辺城の仕寄は中止すべきだ」となるはずを、「上杉と連絡する過程で得ていた情報により、可能性を想定していた石田」が、決定情報の届く前に手配して「二ノ丸を落とすこともしていなかった」という先見の明。「さすがは石田三成、見事な采配だ」となるじゃないですか。こう考えれば「一度は落とす決断をした田辺城に、包囲戦が継続されることを、輝元が許していた」の結果と矛盾しないうえ、史料記述とも一致です。ただし「伊達も最上も上杉に味方した」が「事実ならば」の話ですけどね。実際には嘘でしかないのだし、だから「徳川も出てくる」のだし、ゆえに「全面戦争に拡大する」ってわけですよ。けれども、それこそが「石田の狙い」なわけでしょう?

○七月十五日に「細川の成敗」を言い立てたとき、石田は「上杉も同意した」と嘘をついています。しかし大坂衆は、誰もそれを嘘だと思っていないようです。そこに塗り重ねて「上杉から情報が来た」の嘘をついた模様です。石田が「伏見城を落とさせた」のは、輝元に腹をくくらせて、徳川と完全に切れるため。田辺城を落とさなかったのは、全面戦争に持ち込んで、徳川と戦うため。これで間違いないと思いますね。
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