県立音楽堂主催のヴィルトゥオーゾ・シリーズ関連講座
「歌人の語る詩と音楽」岡井隆
青空⋯G・マーラーのためのプリコラージュ
「大地」からひびきはじめて「巨人」(たいたん)へふかまり行くかこの鬱屈は。
自転車を入れゐる音すやまひある旋律ながれ日は没(い)りしかな
ほんとうだろうか、酒席で四五人の医師がマーラーをあげつらってた。
あの薄い絹布を重ねた音楽が医師のこころを癒してたとは!
すこしづつサラドの華の冷えて行くかかる時代(ときよ)に詩は繋がりつ
医師として蔑(なみ)されゐるといふならずうすくらがりを救はむとすも
湖(うみ)のへの闇にあそびし眼をもどす逢ひたくはなし逢はねばならぬ
暗い眸(まみ)黒いシャツ気に入つてあつめて、降る音のやさぐれ時雨(しぐれ)いたしかたなく
岡井隆氏、医師として充実の時の歌ではないだろうか。また、女性関係の暗部がうかがわれる。
サラドの華に気負いと自信が。いつものいじけ、耐える自分を出す癖あり。
シューベルトの話
塚本邦雄『百珠百草』より(解説は塚本邦雄)
「老辻音楽師」(ライエルマン)歌いつつくる霧の人もと軍人(いくさびと)山をくだると
葛原妙子『橙黄』
うらぶれた乞食さながらの街頭芸人…作者シューベルト自身の、若い晩年の象徴ではな かったか。
将校は私服となりてちかづけり霧深き谷に靴音ひびく 『過ぎにけらしな』
ちかぢかとあなちかぢかと戦争に吹き寄せられし顔すれちがふ
すべての人すべての日は去りけらしつめたき部屋を開け放ちおく
掲出の軍人(いくさびと)と引用三首の「将校」や「戦争に吹き寄せられし顔}が果たして同 一人格であるか否かは分明ではない。だが、昭和20年晩秋初冬、打ちひしがれ、途方に 暮れつつも、なほ、敢えて生きなおさねばならぬ人々が、…そこに描き出される神聖喜劇 が…この「もと軍人」は象徴的な存在であった。
岡井さんは自身、大学の受験勉強の時滅滅とした気でシューベルト「冬の旅」を聞いた。
(葛原妙子は劇的で面白い、また岡井さんの話が巧みでもある。)
塚本邦雄が岡井隆の『人生の見える場所』というタイトルに「見える」は無理だろうと。流行への便乗ぶりが苦々しいといった。ある関心、愛情を持ちながら本当のことを言ってくれる人はいい。
という言葉で締めくくりでした。
ほんの50人ぐらいごく身近での話でした。
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