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2015年12月16日01:25

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関ヶ原史料「みんな嘘つき?」伏見落城五七号

○本物と見られる「手紙五五号の二番」は八月四日付。そこには「上杉と伊達が連携していて、徳川と敵対している」という不思議な記述。しかし伊達政宗の書いた「手紙五四号」は八月三日付で、徳川家に対して「絶対の御奉公を誓います」とあったわけです。こちらも本物だと見られる以上は、どちらかの手紙の、どこかに「嘘がある」わけです。なお、偽書でしかない「手紙六〇号」にも「上杉と伊達の連携」は書いてありましたが、そこは偽書の悲しさというもので、本物らしく見せるために余計なことを書いてしまうんです。「六〇号」では「会津からも、何度も手紙が来ています。伊達、最上、相馬、彼らとも連携しているとのことです」と書くことで、「上杉からの直接情報」だとしているのです。じゃあ本当に上杉は、伊達と連携しているのかどうか、ですよね。ちょうど八月四日付で、直江兼続の書いた手紙があります。上杉家の家史にも収録されているものです。

●手紙五七号「強く申し伝えます。先日、梁川へ加勢に行った者たちは、無事に移られましたでしょうか。そちらの建築工事のこと、在陣する者たちで相談したうえで、必ず命じてください。油断があってはならないことを、仰せられております」「追伸。家康は小山から引き返したとのことです。本当かどうかを確かめてのち、伝えるつもりです。それから、なんとしてでも、政宗を取り逃がすことのないよう、調えておきたいのです。細かな状況を報告してください」

○梁川は福島市の北東で、白石市の南。最前線の白石を援護する後方陣地となるようで、そこに布陣する者たちが、陣地構築、または城の修築をしているみたいです。すなわち、まだ戦争状態にはなっていないものの、上杉家では、伊達のことをかなり警戒していて、防備に余念がない感じです。万一にも伊達軍が仕掛けてきたら、そのチャンスに「政宗を討ち取ってやる」ぐらいに思っているみたい。

○定説解釈では、この時期すでに白石の周辺で「戦闘が起こっている」ことになっていますが、この手紙では「まだ準備中」です。伊達政宗の「五四号」でも「すでに戦闘を始めた」とは書いてありません。「定説と違っている」という点では、本物と見られる手紙の記述でさえも、違う内容になっているんです。大坂のほうで書いている手紙では「上杉と伊達が連携」の嘘。東北のほうで書いている当事者の手紙では「まだ戦っていない」の嘘。本物だろうと偽書だろうと「関係ない」ってくらいに嘘だらけ。その結果、「戦争だから騙し合いがあたりまえで、手紙には嘘を書くものだ」という解釈になってしまっているんです。たとえば伊達政宗は、本当は戦争を始めているのに、徳川家には「まだ戦ってません」と嘘の報告をしているのだし、大坂奉行衆は、上杉と伊達が戦闘状態であるのを知っていても、「彼らは連携して徳川と戦っているよ。徳川は危ない状況だから、徳川の味方をしないほうがいいよ」と嘘を書いている、というように。

○ここらでハッキリと言いましょう。偽書が嘘を書いているのは当然ですが、偽書を取り除いても残る嘘は、石田三成のついた嘘だけです。「敵を欺くには、まず味方から」の考え方で、嘘をついているのは石田三成だけなのです。あとの者たちは、みんな「本当のこと」を書いています。輝元や奉行衆が「田辺城に対して攻城戦を命じた」と書いているのに、実際には包囲布陣が続くだけで、まったく攻撃をしていなかったのは、石田に協力する大谷吉継が、丹後方面をコントロールしていたからでしょう。それを輝元や奉行衆が気づいていないのは、石田に協力する安国寺が、毛利家をコントロールしていたからでしょう。彼らの協力を得て、石田は自分の思惑どおりに状況を動かしていたのです。「上杉と伊達が連携」の嘘も、「上杉家が嘘の報告をしてきた」のではないし、「奉行衆が嘘を書いて虚勢を張った」のでもなく、「上杉家との連絡役である石田が、奉行衆に嘘の報告をしたので、奉行衆はそれを信じた」のです。いずれ「その証拠」が出てきますからね。とにかく石田三成は、嘘の情報を使ってまで、天下の状況を動かして、計画を進めていたのです。どうしても徳川家康を倒したいがために…。
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