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2015年09月28日14:06

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book『「戦跡」の戦後史/せめぎあう遺構とモニュメント』(福間良明)

福間良明著『「戦跡」の戦後史/せめぎあう遺構とモニュメント』(岩波現代全書)を読んだ。広島の原爆ドーム、沖縄摩文仁丘の平和祈念講演、知覧の特攻平和会館などの戦跡が戦後日本において広く戦争体験を伝えるメディアであり続けてきた。この本は、これらの戦跡がいかに生み出され、戦後の戦争観の形成にどのように関わったのかを明らかにしていて、ひさしぶりに熱中して読み、熟読した。膨大で複雑な内容で、簡単に要約はできないので、各章の冒頭に書かれたの著者のねらいを以下に引く。広島の場合、当初原爆ドームは嫌悪の対称とされ、撤去の計画があった。「だとすれば、それはいかににして『歴史の証人』という地位を手に入れるに至ったのか。それに対して、モニュメントである平和記念公園はどのように位置付けられてきたのか。」(第1章)被爆体験をめぐる広島の遺跡とモニュメントの相克、それがどのようにして現在の位置付けにいたったのかが鮮明に明らかにされ、非常に興味深かった。沖縄については、「摩文仁が戦没者追悼のシンボリックな場になったのも、戦後、二〇年を近くを経てのことである。(略)これが摩文仁で『慰霊の日』(六月二三日)に行われるようになったのは、後年のことである。では、いかにして摩文仁が『発見』されたのか、そこには本土のいかなる欲望が背景があったのか。」(第2章)その複雑な本土ー沖縄の戦後史の絡み合いが考察され、大いに考えさせられる。知覧の場合、重要なのは特攻出撃は知覧住民の体験ではないことだ。「では、『特攻』はいつから『地域の記録』として発見されたのか、そして、地域の戦争体験でもないものが、なぜ戦跡観光の核として発見されたのか」(第3章)ここでは「特攻」戦跡が創られてきた過程が考察される。そして、今後の戦争体験の継承が戦争体験なき世代によってなされ、「他者の語り」への依存を高めるだろう、全国各地の戦跡で「知覧化」が進行するだろうとの著者の予測は大変気になる指摘だった。著者と山口誠『「知覧」誕生』(柏書房)を読んでみようと思った。全体を通じて、さらに深くとらえ返したいと思ったのは、3つの「戦跡」と靖国神社(護国神社)との関係性が明らかにされているところだ。この点は私なりに考えてみたいと思った。

<目次>
序章 戦跡の歴史社会学
第1章 「遺構への嫌悪」の忘却――広島平和記念公園・原爆ドーム
第2章 モニュメントの抱擁と憎悪――沖縄・摩文仁戦跡
第3章 逆輸入される「記憶」――知覧・特攻戦跡
終 章 戦争の痕跡と戦後
注 
エピローグ
掲載写真 出典一覧
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