マイミクさんがプロテインの話をしていたのを見て思いだしたこと。
私の実家は工場を営んでおりました。
裕福な暮らしではありませんが、お金の苦労はしたことはありません。
(結婚してこんなにお金の苦労するなんて思いもしませんでした…。・゚・(ノД`)・゚・。)
亡父は新しもの好きで凝り性の人でした。
どこで情報を仕入れてくるのかは知りませんが、健康にいいと言われる物を
なんの相談もなくある日突然家に持って帰ってくることが多い人でした。
プロテインもそのひとつ。もう50年も前のことですが、当時そんな物
テレビのCMでもやっていないし「なんじゃこれ?」でしたが
「身体にいいから毎日これを飲め」と言われ飲まされていました。
今のプロテインは飲みやすくできているようですが、当時のそれは粉っぽく
とてもおいしくいただける物ではありません。朝ごはんのあとに必ずそれを
飲まされる訳で…私が朝ごはん抜き生活になったのはこれが原因かと…。。
「身体にいいから」はこれだけではありませんでした。
熱帯魚の水槽のようなガラスの入れ物に電極(棒)を入れた水を飲まされました。
今で言う「還元水素水」のはしりですな。50年前に…。
今ならそれとわかるけど、当時はそんなもんどこの家にもなかったような…。
何より見栄えが悪いんです。水槽の中に錆びたような鉄の棒がむき出しで
入っている。そんな水がおいしいと思えるわけがない…私が水嫌いで
コーヒーばかり飲むのもそのせいか?(それは違うと思うが)
そして「健康の為」に毎朝近くの公園を走らされました。
近所にある公園は結構広くて、中学の時の体育の時間はその公園を3周してから
授業が始まるパターンでした。
そんな広い公園を小学生の身で走る辛さよ。。眠いし。・゚・(ノД`)・゚・。
でもその甲斐あってかその年の運動会の時にリレーの選手に選ばれました。
「クラス対抗リレー」はもっと早い子が選ばれますが、その下に「学年別リレー」があり
私はそれに選ばれたのです。そうなると父のおかげかなとも思いますが。
まぁその選ばれる時に嫌な気分になりましたけどね…。
担任教師は今の時代では考えられないくらい「えこひいき」をする男でした。
選手を決めるのは運動会前に50m走を計って早い順だったのですが、
その時も私よりタイムの遅いお気に入りさんを選ぼうとしていましたが、
誰かが「〇〇さんの方がタイム早いです」と言ってくれたので「あ、ああ」と
「仕方ないな」みたいな嫌な顔をされたのは一生忘れません。
この男は私がこの歳になっても「鬱の日」を忘れられない日にしたヤツです。
私が唯一「●●したい」と思った男です。
今かなり動悸がしておりますが、やっとこの男絡みの話ができるようになりました。
父の健康話のはずが話がそれましたが…こんなことも含め、昔の話を思いだしたら
ちょこちょこ書いていこうと思っています。もはや「エンディングノート」ですなw
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