綺麗な街になって欲しいと望みながらも、いつもの場所にゴミが散乱している姿を見た時「今日も掃除に来てよかった。ここにはまだ自分が出来る事が残っている。」そういうほっとしたような気持ちが起こるのも事実です。
今日は清濁合わせ持つ事について考えながら掃除をしていました。
僕は歌舞伎町は清濁あわせ持った街だからこそ魅力を感じます。また、純粋培養されてきたような人より苦労を重ね、清濁合わせ持っている人の方に魅力を感じます。
真水に魚が住めないように、清濁あわせもつ水だからこそ生命が育っていけるのだとも思います。(ただその清濁の割合次第で清流にも泥水にもなるのだと思います。)
自分の中にも、人の中にも清濁あわせもつ事を認める必要があるのだと思いました。
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ゴミ箱を漁っているおじさんがいました。
いつもは声をかけずにいる事も多いのですが、今朝は「このおじさん将来はどうなるのかな?」「もし地球が災害に見舞われた時にはきっとこういう人の方が強いんだろうな」などと考えながら「おはようございます。」と声をかけました。
ゴミ箱から顔を上げて、こちらを向いたおじさんは何ヶ月か前に僕が掃除をしている事に対して「こんな事やっても無駄なんだ!」と唯一絡んできたおじさんでした。
しかし、今日のおじさんの僕に対する言葉は「まじめやなぁ〜」という苦笑いの混じった言葉でした。
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