第151戦 9月9日発売号○鶴田、ボボ・ブラジル破り試練の十番勝負初勝利(76年全日本プロレス大阪府立体育会館)【参考】2015年9月9日発売号はアジア・タッグ選手権試合、グレート小鹿&大熊元司組vs天龍源一郎&ロッキー羽田(77年全日本プロレス後楽園ホール)
【解説】75年の暮れ、「オープン選手権」終了後、鶴田を世界のメインイベンターに成長させようと企画されたのが「試練の十番勝負」でした。
実行委員長は「日本レスリング界の父」と呼ばれた日本アマレス協会会長、元衆議院議員八田一朗氏。八田氏は「プロが栄えれば、アマも栄える」として当時のプロレス界良好な関係を構築し、鶴田の全日本プロレス入団、吉田光雄(長州力)の新日本プロレス入団を後押ししたのも八田氏。
実務は実行委員である山田隆が中心となって東スポが担当、ファン投票により、鶴田の対戦相手を募集、投票総数8万票を超える大反響がありました。
最終候補、として発表されたのは以下の15選手。NWA世界ヘビー級王者「テキサスの荒馬」テリー・ファンク、AWA世界ヘビー級王者「金髪狼」ニック・ボックウィンクル、WWWFヘビー級王者「人間発電所」ブルーノ・サンマルチノの当時の3大世界チャンピオンを初め、「鉄人」ルー・テーズ、「AWAの帝王」バーン・ガニア、鶴田のアメリカの師匠である「テキサスの若馬」ドリー・ ファンク・ジュニア、「人間風車」ビル・ロビンソン、「黒い呪術師」アブドーラ・ザ・ブッチャー、「美獣」ハーリー・レイス、「生傷男」ディック・ザ・ブルーザー、「大巨人」アンドレ・ザ・ジャイアント、「アラビアの怪人」ザ・シーク、インターナショナル王者「韓国の猛虎」大木金太郎、国際プロレスのエース、IWA世界ヘビー級王者「金網デスマッチの鬼」ラッシャー木村、そして、実現が最も難しいと思われた新日本プロレス、NWF世界ヘビー級王者「燃える闘魂」アントニオ猪木。
第1戦は76年3月10日、日大講堂でガニアと対戦、試合前にタイトルマッチばりに八田一朗大会実行委員長による「認定宣言」が読み上げられました。(試合は全て60分3本勝負)
この日の朝、全日本プロレスの旗揚げメンバーであり、入団の頃から鶴田をコーチしていたマシオ駒(本名 駒秀雄)が腎不全の為35歳の若さで入院中だった世田谷区の三宿病院で死去。鶴田は育ててくれた駒の為にも負ける訳にはいきません。
1本目は19分12秒、ガニアがスリーパーホールドで先取、2本目は9分54秒、鶴田がジャーマン・スープレックスホールドで返し、決勝の3本目は13分26秒、ガニアのバックドロップが同体となり、2人共後頭部を強打して立てず、13分26秒に両者カウントアウトとなり1−1の引き分け。
第2戦は3月28日、蔵前国技館での全日本プロレスvs国際プロレス全面対抗戦でR木村と対戦、特別レフェリーは芳の里。
1本目は13分27秒、R木村がブレーンバスターからの片エビ固め。2本目は6分34秒、鶴田がダブルアーム・スープレックスからの体固め。決勝の3本目は4分53秒、鶴田のジャーマンのブリッジが崩れ、鶴田とR木村の両肩が同時にマットに着き、レフェリーの芳の里はカウント3を数え、1−1から両者ダブルフォールの引き分け。
第3戦は6月11日、蔵前国技館でNWA世界ヘビー級王者、テリー・ファンクに挑戦。テリーは前75年12月10日、フロリダ州マイアミビーチ・コンベンションセンターでジャック・ブリスコを28分、首固めで破り王座獲得、王者としての来日はこの1度きりとなりました。
1本目は15分50秒、鶴田が躍動感溢れる前方回転エビ固めの連発を見せてカウント3を奪い先制。2本目は6分5秒、テリーがローリング・クレイドル(揺り椅子固め)で返し、3本目は5分12秒、テリーが鶴田のフライング・ボディシザースドロップのタイミングをずらした為、鶴田はトップロープに首をしたたかに打ち付けてダウン、テリーがそのまま押さえ込んで体固めでフォール勝ち。2−1で3戦目で鶴田は初の黒星。
第4戦は7月17日、北九州市小倉区三萩野体育館で新日本プロレスから転じて来たロビンソンと初シングル対決。1本目は29分5秒、ロビンソンがヨーロピアン・クラッチ(欧州式エビ固め)で先制、2本目は21分59秒、鶴田がエビ固めで切り返してフォール勝ち。
2本目終了時点で既に50分以上経過しており、3本目は60分時間切れ、5分間の延長戦も時間切れとなり1−1のドローに終わりました。7か月前に猪木がようやく60分時間切れに持ち込んでNWF世界ヘビー級王座を防衛したロビンソン相手に鶴田は互角に闘って見せました。
鶴田は8月28日、日大講堂でブリスコとの王座決定戦を制し、復活UNヘビー級王座を獲得、馬場との師弟コンビで保持していたインターナショナル・タッグ王座と併せて二冠王に輝いています。
十番勝負ではこれまで1敗3分と勝ち星のない鶴田でしたが、この日「ブラック・パワー・シリーズ」最終戦で「黒い魔神」ボボ・ブラジルと第5戦で対戦。ブラジルはファン投票の15人の中には入っていませんでしたが元WW世界ヘビー級王者、日本プロレス時代はインターナショナル王座に2回就いている強豪。
1本目は11分15秒にブラジルがココバットから体固め.2本目は5分15秒に鶴田のリングアウト勝ち。決勝の3本目は2分57秒、鶴田がジャンピング・ニーパットからの片エビ固めでフォール、2−1で5戦目にしてついに初白星を上げました。
そこへ「ジャイアント・シリーズ」に参戦が決定しているアブドーラ・ザ・ブッチャーが突然、私服姿でリングに上がり勝った鶴田を襲撃、負けたブラジルにも突っ掛かり「全日本プロレスの黒人ナンバーワン外国人は俺だ」とアピールしました。
その後十番勝負は、第6戦が10月22日、愛知県体育館でのブッチャー戦が1−1から反則勝ちで2勝目、第7戦は12月2日、川崎市体育館で初来日のミュンヘン五輪アマレスアメリカ代表、210kgの巨体を誇る「怪童」クリス・テーラーと対戦し1−1からリングアウト勝ちを拾い、3勝目、76年だけで7戦闘い3勝1敗3分の勝ち越しに持って来ています。
翌77年に入ると、相応しい対戦相手が来日しなかったのと、UNヘビー級王座防衛戦と同時進行になった為かペースがガタンと落ち、第8戦は6月11日、世田谷区総合体育館でハーリー・レイスのNWA世界ヘビー級王座に挑戦。レイスは2月6日、カナダ・トロント・メープルリーフガーデンでテリーを14分40秒、フロント式のインディアン・デスロックで破りNWA世界王座2度目の獲得を果たしていました。試合は3本目、レイスの首固めに鶴田が敗れ2敗目を喫しました。
第9戦は7月28日、品川スポーツランド(プリンスホテル・ゴールドホール)で大木とのUN、アジア両ヘビー級選手権試合、この試合、大木がヒールファイトに転じ急所攻撃を乱発、流血戦となり1−1から両者リングアウトの引き分け。
78年は1度も開催がなく、最終戦は79年1月5日、川崎市体育館で「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリックとの一騎打ち。1本目はエリックがアイアンクローで取り、2本目は鶴田の反則勝ち、3本目は鶴田がフライング・ボディプレスでエリックからフォールを奪い、最終戦に勝ち有終の美を飾り4勝2敗4分で十番勝負を終えていますが、初勝利を挙げたという点でブラジル戦はターニングポイントと言える試合だったと思います。
※対戦成績は151戦31勝120敗、勝率205。
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