第145戦 7月29日発売号○馬場、日本プロレスから独立を表明(72年赤坂プリンスホテル)【参考】2015年7月29日発売号はWWWF世界ヘビー級選手権試合、ペドロ・モラレスvsザ・スポイラー(72年ニューヨーク・マジソン・スクエア・ガーデン)
【解説】3か月ぶりの白星。本連載でも何回か書いていますが、71年暮れ、猪木が日本プロレス改革の為に「ダラ幹」芳の里社長、遠藤幸吉取締役らを追放し、レスラーが潤うことの出来る会社を作ろうと、税理士の木村昭政と共に会社改革に乗り出し、取締役選手会長だった馬場も一旦は同意しました。
しかし、新体制になった後は野心家である猪木が社長となり会社の実権を握るのでは?という不信感から馬場は翻意、同様に感じた上田馬之助が芳の里に猪木の計画を洩らし、猪木は「会社乗っ取りを企てたクーデター犯」として12月13日に日本プロレスを除名・追放処分とされてしまいました。
結果、猪木をエースとして放送していたNET(テレビ朝日)のワールドプロレスリングは12月27日に放送された水戸市茨城県スポーツセンターからの録画中継(12月6日収録)の猪木vsディック・スタインボーン戦を最後にNETの画面から猪木が消えてしまいました。
自局のエースを失ったNETは、馬場の試合の放送を日本プロレスに強く要請。69年5月12日に行われたNETの放送開始記者会見の中では先発の日本テレビ、日テレのスポンサーである三菱電機の強い意向から、�’肋譴了邱膈∈筝�征二の試合��ワールド・リーグ戦の公式戦、は放送出来ない、と取り決めがあり、このうち�△鉢�はなし崩し的に反故にしてきましたが、日テレはエースでありインターナショナル王者である馬場の試合だけは放送を許しませんでした。
NETとしても猪木がいなくなったことでワールドプロレスリングの視聴率低下は避けられず、強気の要望を出し、芳の里社長は日本テレビに高視聴率番組を提供している、という傲りもあり、「馬場をNETに登場させたところで、日本テレビは許してくれるだろう」と判断。役員会において賛成多数で馬場のNET登場を決めました。
4月3日、第14回ワールド・リーグ戦新潟市体育館大会より馬場はNETのワールドプロレスリングに登場しましたが、これに日本テレビは激怒。5月12日、東京体育館からの生中継、馬場vsゴリラ・モンスーンの第14回ワールド・リーグ戦優勝決定戦を最後に日本プロレスの放送を打ち切り。日本プロレスが日本テレビを甘く見た結果でした。
日本テレビは翌週からは過去の名勝負を放送。7月21日から石原裕次郎主演の刑事ドラマ「太陽にほえろ!」の放送が開始されていました。
日本テレビが放送を打ち切ったことで、日テレの専売特許だったインターナショナルのシングルとタッグのタイトルマッチがNETに登場、5月19日、ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムでのドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク組のザ・ファンクスに馬場&坂口組が挑戦したインターナショナル・タッグ選手権試合、6月1日、大阪府立体育会館での馬場vsジョニー・バレンタインのインターナショナル選手権試合などがNETで放送され、99年2月1日、前日馬場が亡くなったことを伝えるテレ朝「ニュースステーション」ではこの2試合が流されました。
馬場の記者会見が行われた前日の7月28日には後楽園ホールで日本プロレスの「第二次サマー・シリーズ」の開幕戦が行われ、ミル・マスカラスが初来日のエル・ソリタリオと組んで来日しています。
そしてこの日、馬場は「私、馬場正平はプロレスラーとしての信義と理念を貫き、日本テレビに対する恩義に報い、また、自らの理想のプロレスを追求すべく、日本プロレスを離れ、独立することにしました」とコメントし日本プロレスに辞表を提出したことを発表。既に水面下で馬場と日本テレビによる新団体旗揚げ計画は着々と進行していました。
芳の里社長は取材に対し、「馬場君から辞表は提出されているが、会社としては慰留するつもりだ」と話し合いによる引き止めを行う意思を示していましたが…。
「昨日からシリーズが開幕したが、試合には出るのか」という質問に対しては「興行を買ってくれたプロモーターに迷惑をかける訳にはいかないから(最終戦までは)出る」と回答、翌7月30日は福岡スポーツセンター大会(坂口vsベポ・モンゴルのUN選手権試合がメイン)であり、最終戦の8月18日、宮城県石巻市民グラウンドまでは試合に出場し、シリーズ終了後、日本テレビの原章プロデューサーと共に渡米し新団体「全日本プロレス」の旗揚げ準備に取り掛かりました。
※対戦成績は145戦30勝115敗、勝率207。
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