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2021年02月02日21:24

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週プロ流智美あの日あの時予想2020年総括(27)

第143戦 7月15日発売号●【予想】ラッシャー木村、新兵器「風車吊り」でスパイク・ヒューバーを破る(80年国際プロレス富士市吉原体育館)【正解】日本2番目のプロレス専門誌創刊(55年)【参考】2015年7月15日発売号はドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク組vsアブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シーク組(79年全日本プロレス品川プリンスホテル・ゴールドホール)

【解説】80年は国際プロレス崩壊の1年前でこの年にも提携先である新日本プロレスとのダイナマイト・キッドの招聘争奪戦に敗れ、スネーク奄美が脳腫瘍の為の引退(翌81年4月30日死去)、3月31日、後楽園ホールで行われた4大タイトルマッチ、マイティ井上&アニマル浜口組vs新日本の木村健吾&永源遙組のIWA世界タッグ選手権試合では木村健のプランチャに浜口が失神、新日組の反則負け裁定も事実上は浜口のKO負け。

阿修羅・原には元国際プロレスの剛竜馬が挑戦しましたが、剛は原を場外でアトミックドロップの要領から放送席に叩きつける暴挙に出て反則負け。ラッシャー木村は新日本プロレスでは既に用済みとなっていた感のあるジョニー・パワーズの足8の字固めに大苦戦し辛うじてリングアウト勝ちで王座防衛。

浜口は頭部打撲により欠場となり、ベルト返上。「ビッグ・サマー・シリーズ」第2戦の6月29日、後楽園ホールで行われたIWA世界タッグ王座決定戦では寺西勇がM井上と組んで出場、新日本プロレスは元国際プロレスのエースだったストロング小林を永源と組ませて投入し、1−1からの3本目、ジプシー・ジョー、ロッキー・ブリュワーが乱入、国際組がリングアウト負けとなり、S小林&永源組が王座に就いています。S小林は73年4月、国際プロレス在籍時以来7年ぶりの同王座返り咲きとなりました。

国際プロレス勢は浜口が復帰、7月15日、富士市吉原体育館でM井上と組んでS小林&永源組のIWA世界タッグ王座に挑戦、永源と浜口が1本ずつ取り合った後の3本目、S小林の椅子攻撃が誤ってレフェリーの山本小鉄の脳天を直撃。反則でも王座が移動するルールでM井上&浜口組が王座奪還しています。

今回私が予想したR木村とスパイク・ヒューバーのシングルマッチはこの日のセミファイナルで行われたノンタイトル戦。ヒューバーは初来日、ディック・ザ・ブルーザーの娘婿(後に離婚)であり、若手のラフファイターの精鋭でした。

2日前の7月13日、兵庫県八鹿町民体育館でランディ・タイラーを秘密兵器の裏足4の字固めでギブアップさせてIWA世界ヘビー級王座8度目の防衛に成功、勢いに乗っていたR木村はこの日、ベアハッグの体勢から両腕をリバースフルネルソンで固める新技「風車吊り」を見せ、10分41秒、ギブアップ勝ち。

2月に国際プロレスに入団してきた大木金太郎が新技「X固め」を披露しており、負けじとR木村も新技を意欲的に開発していた時期でした。不器用ながらもフィニッシュホールドが固定化しないように研究していたところは評価出来ます。

しかし、このシリーズの7月9日、熊本市体育館ではグレート草津が試合中に右足アキレス腱断裂の重傷を負ってしまい、欠場、引退試合を行うことがないままフロント業務専担となり、シリーズ最終戦の7月25日、札幌中島体育センター大会の日の深夜、日付変わって26日には埼玉県大宮市(現さいたま市大宮区)の道場兼合宿所にハイヤーが突っ込んでガソリンがプロパンガスに引火し全焼する事故が起きるなど、悪いことが続きました。選手は北海道から戻る途中、負傷して残り番だった若手の冬木弘道は横浜の自宅に帰っており、人身事故にならなかったのがせめてもの救いだったと言えます。

日本で初のプロレス専門誌は流さんが師事していた田鶴浜弘氏主幹のプロレス&ボディビル「月刊ファイト」(後のタブロイド紙「週刊ファイト」とは別物)で54年12月に55年1月号として創刊されています。この時期は2月19〜21日の蔵前国技館3連戦で幕を明けた日本初のプロレス国際試合で力道山のパートナーを務めた木村政彦が、

「力道山のプロレスはジェスチャーの多いショー、あの時自分は負け役をやったが、真剣勝負なら力道山には負けない。私と闘おう」と挑戦を表明した時期で、既に66年前に木村政彦がプロレスを「ショーだ」とか「負け役(ジョバー)をやった」などと平気で口にしているのは興味深いですが、力道山vs木村政彦(12月22日、蔵前国技館)の「昭和巌流島の決闘」の展望号でした。 

83年7月29日に週刊プロレスが創刊されるまで、月刊誌の時代は「ゴング」もそうですが、主に「シリーズ展望号」と「詳報号」を月毎に繰り返す編集方針が根幹にありました。そのスタイルを最初に作ったのは田鶴浜さんと言えます。 

そして翌55年7月15日、ベースボールマガジン社よりベースボールマガジンの増刊号として「プロレス」が発売されています。

7月15日、蔵前国技館3連戦から始まる「プロレス国際大試合」の展望号で表紙は力道山、東富士、「メキシコの巨象」ジェス・オルテガ、「動くアルプス」プリモ・カルネラの4人でした。

この年にベースボールマガジン増刊号として3冊発行され、同年10月から正式に11月号として「プロレス」が創刊されました。その後一時「プロレス&ボクシング」になりましたがまた「プロレス」に戻し、83年には週刊誌化して現在に至ります。

※対戦成績は143戦29勝114敗、勝率203。
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