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2021年02月18日22:28

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週プロ流智美あの日あの時予想2020年総括(43)

第159戦 11月4日発売号●【予想】日米レスリングマスター対決、IWA世界ヘビー級選手権試合、マイティ井上vsレイ・スチーブンス(74年国際プロレス後楽園ホール)【正解】天龍源一郎vsジャイアント・キマラ(85年ジャパンプロレス大阪城ホール)【参考】2015年11月4日発売号は1対3変則タッグマッチ、猪木vsラッシャー木村&アニマル浜口&寺西勇(82年新日本プロレス蔵前国技館)

【解説】本来であれば当初は85年11月4日、ジャパンプロレス大阪城ホールで行われた長州力vs鶴田のシングルマッチを予想する予定でしたが、20年に入ってから「あの日あの時」で国際プロレスのネタを採り上げる機会が激減しており、こちらの予想に急遽差替をしました。

流さんが19年に上梓された「東京12チャンネル時代の国際プロレス」(辰巳出版)によれば、同書は「国際プロレスに対する卒業論文」と定義されているところから、おそらく、もう「あの日あの時」で国際プロレスに関する材料はもうあまり書かなくなったか?あるいは流さんの根底に流れる吉原功社長、田中元和元東京12チャンネル「国際プロレスアワー」ディレクターヘの尊敬の念からやはり本コラムでもまだ書き続けるのか?色々と考慮しましたが、「国際好き」は変わらないだろうと私なりに結論づけしました。

20年に入ってからは2月26日(馬場戦における不可解裁定でR木村がテレビ視聴者にアピール、78年)、6月3日(R木村vsビル・ロビンソンIWA世界ヘビー級王座決定戦、74年)、7月1日(日本初のチェーンデスマッチ、グレート草津vsザ・キラー)、7月15日(R木村vsスパイク・ヒューバー)発売号で、2月26日の正解、遠藤光男レフェリー、リング上で入団挨拶のみにとどまり、後はかすりもせず。

流れさんは本当に「東京12チャンネル時代の国際プロレス」から卒業してしまったのか?これを確認するために、昭和でも後期にあたる長州vs鶴田を外して、国際プロレスマニアの間では名勝負の呼び声が高いマイティ井上vsレイ・スチーブンスのIWA世界戦を予想しました。

M井上は74年9月の「スーパー・ワイド・シリーズ」にIWA世界ヘビー級王者として初来日したスーパースター・ビリー・グラハムに3連続挑戦という抜擢を受け、第1戦の10月1日、大分県営体育館では2−1で敗退。第2戦となった10月5日、愛知県体育館では1−1から両者リングアウト。第3戦の10月7日、越谷市体育館でついに2−1でグラハムを倒して王座獲得、第9代王者となりました。

当時25歳の若き王者が誕生、M井上が初防衛戦の相手として迎え討ったのが、「金髪の悪魔」AWA世界タッグ王者のスチーブンス。共に小柄ながら小気味いいテクニックと抜群の試合運びの旨さを持つまさに「日米レスリング・マスター対決」。

1本目は11分56秒、M井上が体固め、2本目は4分50秒にスチーブンスが体固め、決勝の3本目は1分50秒の速攻によりM井上が回転足折り固めでスチーブンスを丸め込み、2−1でM井上が初防衛に成功しています。

この後M井上は同年11月21日、大阪府立体育会館でAWA世界ヘビー級王者、バーン・ガニアとIWA世界王座も賭けたダブルタイトルマッチを行い1−1から両者リングアウトの引き分け。翌75年2月2日、後楽園ホールで「イギリスの流血王」ダニー・リンチを2−1で破り3度目の防衛を果たしましたが、4月10日、足立区体育館でマッドドッグ・バションに2−1で敗れ王座転落。

半年間の短命王者に終わりました。4月19日、札幌中島スポーツセンターでR木村がバションを金網デスマッチで破り以後は81年8月に団体が崩壊するまでの通算6年4か月、R木村がエースとなる訳ですが、国際プロレスがM井上を「和製ペドロ・モラレス」みたいな感じで本腰を入れて売り出していたらまた違った歴史になっていたかも知れませんし、M井上のレスラー生活もまた大きく変わっていたように思います。

「ウガンダの大魔神」ジャイアント・キマラ(カマラ、本名ジェームス・ハリス)が20年8月9日、新型コロナウイルス感染症により70歳で亡くなっています。

82年に顔面とボディにペイントを施したウガンダの原住民族ギミック「カマラ」に変身、マネージャーにはカマラを発見したとされる覆面を被って探検家の格好をした「フライデー」が付き、一躍ブレイク、83年にはテキサス州ダラスのエリック王国、ワールドクラスレスリングに登場、そこでの試合がテレビ東京「世界のプロレス」で流され、日本でもその存在が知られるようになりました。

84年にはWWFに登場、「ハルカマニア」時代のハルク・ホーガンと対戦、退団後の85年、ジャパンプロレスの「サマー・ドリーム・フェスティバル」に初来日。実は前年の6月17日に後楽園ホールで開幕する予定だった旧UWFの「オープニング・シリーズ第2弾」にトミー・リッチ、キングコング・バンディらと共に来日候補に上がっていましたが、シリーズ中心によりキャンセルとなっています。

来日第1戦となった8月2日、札幌中島体育センターでは全日本プロレスのタフガイ、大熊元司を3分38秒、体固めで圧殺、8月5日の大阪城ホールではキラー・カーンに反則負け、8月7日、後楽園ホールでは長州に反則負けでノーフォールのまま帰国。

11月のジャパン「ニューウェーブ・イン・ジャパン」に再来日、そして、本稿の題材である天龍とのシングルマッチは長州vs鶴田戦のセミファイナルに組まれています。試合は6分1秒にリングアウト負けを喫していますがこのシリーズもノーフォールで帰国しました。

キマラをジャパンに呼んだのは馬場でしたが、全日本プロレス本体のリング登場は89年2月の「エキサイト・シリーズ」までなく、その後、90年にボツワナ・ビーストのリングネームでFMWに初来日したジャイアント・キマラ2号の方が全日本プロレスでレギュラーとなりました。キマラ(カマラ)は便宜上、ジャイアント・キマラ1号と呼ばれました。

晩年は糖尿病を患い、壊死の為に両足の切断を余儀なくされました。重度の基礎疾患があってはコロナウイルスに勝つことが出来なかったのでしょうか。改めてご冥福をお祈りします。

※対戦成績は159戦32勝127敗、勝率201。
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