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2021年02月11日21:41

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週プロ流智美あの日あの時予想2020年総括(36)

第152戦 9月16日発売号●【予想】藤原喜明、テレビ生中継のセミファイナルに抜擢、&木村健吾組vsディック・マードック&バッドニュース・アレン(83年新日本プロレス埼玉・吉川町総合体育館)【正解】猪木、モハメド・アリとの再戦交渉中に大物ケン・ノートンが闖入(78年)【参考】2015年9月16日発売号は、ボビー・ブランズ一行が来日(51年)

【解説】この年の前半まで、テレビ視聴率20〜25%、全国どこへ行っても超満員というブームを謳歌していた新日本プロレス。だが「好時魔多し」の言葉通り、8月11日、ブームを支えていたタイガーマスクが「引退」を発表し契約解除を内容証明郵便にて新日本プロレス宛に送達。

「ブラディ・ファイト・シリーズ」開幕戦前日の8月25日には、猪木の個人事業であるアントン・ハイセルに新日本プロレスの営業収入が投入されているという疑惑により臨時取締役会にて猪木が代表取締役社長、坂口征二が取締役副社長、新間寿が専務取締役営業本部長を解任され、新たに山本小鉄、テレビ朝日から出向の大塚博美、望月正治の3人が代表取締役に就任するというトロイカ体制となりました。

リング外の事件も新日本プロレスのお家芸ではありますが、猪木は6月2日、蔵前国技館でのIWGP決勝戦でハルク・ホーガンのアックスボンバーを喰らって失神KO負けして以来欠場中でシリーズ第3戦の8月28日、田園コロシアムでラッシャー木村戦で12分38秒、卍固めで破り復帰戦に勝利。

勝った猪木は「コソコソするんじゃねぇ、テメェら、俺の首を掻っ切ってみろ!」とマイクアピール。それは改革派に向けた猪木の心の叫びでもありました。

シリーズ後半戦の9月16日、埼玉・吉川町(現在の吉川市)総合体育館大会のテレビ生中継は新日本プロレスらしい、非常に面白い展開になりました。

セミ前の藤波辰巳&前田明(日明)組と長州力&キラー・カーン組の一戦は、試合前の前田の入場時、維新軍が前田を襲撃。前田は戦闘不能状態となり、代打として若手でデビュー3年目の高田伸彦が抜擢されました。高田はタイガーマスクが引退表明をした時に猪木に随行してカナダ・カルガリーにおり、8月13日にはスタンビート・パビリオンでスティーブ・ライトの実弟と言われたアーサー・フォーリーをジャパニーズ・レッグロール・クラッチ(回転足折り固め)で破って、その試合がテレビ朝日の画面に登場したばかりの期待の新鋭でした。

しかし、高田ではまだまだ当時の維新軍には歯が立たず、5分33秒、長州のリキラリアットからの体固めでフォールされ、惨敗を喫しました。

セミファイナルに登場したのは木村健吾とタッグを組んだ藤原喜明。藤原はテレビ初登場ではなく、75年12月7日、刈谷市体育館での第2回カール・ゴッチ杯優勝決定戦で木村たかし時代の健吾を破って優勝した試合、80年7月2日、札幌中島体育センターでのジョニー・マンテルとのシングルマッチ(いずれも録画)が放送されていましたが、生中継のセミファイナルというのは初めて。

木村健&藤原組は強豪ディック・マードック&バッドニュース・アレン組と対戦、この試合、藤原は後に自身の代名詞となる関節技はほとんど使っておらず、ヘッドバットを中心とした試合を展開、相手のマードック、アレンは藤原の強さをよく知っており、藤原の良さを引き出して好試合に。10分59秒、マードックが藤原をブレーンバスターからの体固めで破っていますが、

テレビ視聴者のファンの間には「あの地味な選手、初めて見たけど、やるじゃないか」という評価を受けました。これが翌84年2月3日、札幌中島体育センターでの「雪の札幌テロリスト事件」に直結すると考えるのはいささか早計かと思いますが、猪木の目には「テレビマッチのセミ、合格」と映ったことは間違いないと思います。

メインイベントは猪木と維新軍副将、切り込み隊長アニマル浜口とのシングルマッチで、首を痛めてなかなかジャーマンが出せないと言われていた猪木が7分36秒、バックドロップホールド気味のジャーマンで浜口をフォールしています。

この日テレビ生中継された3試合はどの試合1つ取っても「あの日あの時」の題材として採り上げるに相応しい試合でしたが藤原の「テロリスト夜明け前」ということでセミファイナルを予想致しました。

76年6月26日、日本武道館でモハメド・アリと対戦し引き分けに終わった猪木は翌77年からアリとの再戦に向けての交渉をスタートさせていきました。

アリ側の代理人であるハーバード・モハメドを相手にアリを再び引っ張り出そうとし、ザ・モンスターマン、チャック・ウェップナーらこの年猪木と「格闘技世界一決定戦」を闘った選手は「アリからの刺客」と言われており、猪木はこれら相手に勝つことで、アリとの再戦に一歩また前進していきました。

風向きが変わったのが78年2月15日、ネバダ州ラスベガス・シーザーズパレスでアリは先日亡くなったレオン・スピンクスに判定負けを喫し、WBA、WBC統一世界ヘビー級王座から転落してしまったのです。これで交渉は一時中断されました。

「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と形容されたアリも35歳となり、加齢と歴戦からくる肉体的ダメージにより衰えが目立ってきた頃でした。「アリ、引退か!?」という見出しがスポーツ紙を飾りましたが、アリは9月15日(日本時間16日)、同じラスベガス・シーザーズパレスでスピンクスに判定勝ちし、王座返り咲きを果たしています。

今回の流さんのコラムは78年9月16日付のデイリースポーツ紙からソースを引用。猪木とモハメド・アリのライバル、ケン・ノートンのツーショット写真が一面を飾り、猪木がKノートンと対戦実現か?という煽り記事ですが、実際にコラム本文を読んでみると、Kノートンは9月11日、日本武道館で行われる「ワールド・キックボクシング」の大会が全米ネットワークの一つであるNBCで中継されることで、特別コメンテーターとして来日。

猪木とはその前日の9月10日に京王プラザホテルで対面していてその時に報道陣の要請に応じてツーショット撮影に応じただけとの話。結局、猪木とビジネスで絡むことはありませんでした。

デイリーが10日に撮影した写真を16日に持って来たのは、新聞が宅配や駅売のスタンドに並ぶ頃にはスピンクスvsアリ戦の結果が出ており、どちらに勝敗が転んだにせよ試合が終れば猪木がアリとの再戦交渉に向けて再び動き出すことが確実視されていた為、夕刊紙の東スポに先駆けて、「飛ばし記事」を一面にしたというのが本当のところかと思います。

結局、16日に起きた出来事ではなく、10日の話であり、猪木とKノートンとの間で対戦について交渉した事実はありません。

ただ、流さんはコラムには書いていませんが2月15日にアリに判定勝ちしWBA、WBC統一世界ヘビー級王者となったスピンクスでしたが、WBC世界ランキング1位であるKノートンの挑戦者指名を拒否した為、WBCからは王座を剥奪されており、Kノートンは闘わずして新WBC世界ヘビー級王者に認定されました。

しかし6月10日にラリー・ホームズに敗れて王座を失い、来日した時は無冠。アリが9月15日にスピンクスを破って奪回した世界ヘビー級王座はWBAのみの認定となっていました。

9月16日もネタが不作の日であり、1巡目がボビー・ブランズ一行来日(GHQ慰問の為に在日宗教団体、トリイ・オアシス・シュライナースクラブが招聘、メンバーの中に入っていたハロルド坂田と大相撲を廃業した力道山が赤坂のクラブ「銀馬車」で肩が触れた触れないで喧嘩となり坂田が力道山にプロレス入りを勧めたという「逸話」があります)ですから苦戦する日には違いないですが、

猪木vsブラックジャック・マリガンシングル初対戦(77年新日本プロレス久留米市福岡県立体育館)、藤波vsタイガー・ジェット・シンシングル初対決(78年新日本プロレス岐阜市民センター)、マイティ井上、菅原伸義(アポロ)、米村天心(参加せず)、冬木弘道全日本プロレス入団記者会見(81年キャピトル東急ホテル)、猪木vsブルーザー・ブロディ、最後のシングル対決、60分ノーフォール時間切れ引き分け(86年新日本プロレス大阪城ホール)など探せばまだあります。

現在の週プロを購読している読者に「ノートン」と言えば、大半の人が「スコット・ノートン」を思い浮かべるはずで「大物ノートン闖入」と描いたところで、ピンと来ない人の方が多いはずです。何を伝えたかったのか、私には今ひとつ理解出来ないコラムでした。

※対戦成績は152戦31勝121敗、勝率204。
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