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2019年09月20日01:06

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総論19「小谷の籠城戦略」合戦考証79

○「金ヶ崎の退口」は、信長が「金ヶ崎にいたとき」に「浅井長政の裏切りを知った」というのが通説。しかし信長は、このとき金ヶ崎にはいませんでした。毛利へ送った手紙に「金前には番手入置」の記述です。これは「城を確保するために、番をする部隊を置いた」の意味ですから、信長自身は「そこにいない」のです。

○じゃあ信長は、このとき疋田城にいたのでしょうか。けれども『信長公記』には「疋田城を破却した」の記述があります。もっとも、これに関して言えば『信長公記』も伝聞情報にすぎないため、必ずしも信頼性はありません。ゆえに推論を必要とするわけです。その際に考慮すべきは「信長の戦略意図」と、「朝倉義景の戦略意図」です。すでに書きましたが、信長のほうでは「味方の浅井と合流する」と考えていて、朝倉のほうでは「味方の浅井に信長を討たせる」と考えていたわけです。よって「推論で導き出す答え」とは、両者の思惑が一致する地点です。浅井の裏切りを「夢にも疑わない」はずの信長は、「ここなら安全に合流できそうだ」という場所を考えるし、そこが「安全地帯」だからこそ、信長を裏切った浅井が「そこで信長を討てるはずだ」というふうに、朝倉は考えるのです。

○では、どこが「安全地帯」になるでしょうか。信長としては「浅井を味方」と思い込んでいる以上、反撃行動に出てくるのは「朝倉軍だけ」の想定です。よって「朝倉軍が織田軍を攻撃しにくい場所」が「安全」なわけです。もちろん朝倉の側は、それで構いません。浅井が攻めてくれるからですね。だとすれば、朝倉にとって困るのは、信長の選択した場所が、浅井にとって「味方として合流はできても、敵としては攻撃しにくい場所」になってしまうこと。そして実際問題、信長が「敦賀に越境して最初に布陣した地点」では、浅井に攻撃ができないんです。それが「どこか」と言いますと、『信長公記』に書いてありますよ?「手筒山城の前」ですね。だから私は以前に書いたじゃないですか?「史料に答えが書いてあっても、その意味がわからない歴史学者には、意味がないんですよ」って。

○ただし太田牛一は、「疋田城の干し殺し」を「手筒山城の城乗り」と勘違いしたんです。このあとの「小谷城攻め」でも同様に、城乗りなどするはずもないのに「城乗りを諦めた」と書いたくらいですからね。牛一の書いた文章「手筒山城を攻めた」には、織田軍が「どこに布陣したか」の位置と、「何をしたか」の行動と、二つの要素が「同時に表現」されていますけど、さらに「信長は全軍でそこにいた」という「牛一の解釈」までが含まれているんです。これは「誰が」の要素ですね。しかし「何を」の行動が「疋田城の干し殺し」なら、織田軍の半数は「疋田にいた」はずで、こっちにいたのは「信長の本陣」の話です。このように、文章の三要素の内「何を」と「誰が」が違っていても、残る「どこで」の位置情報まで「間違っている」とは言い切れません。「戦略目的」が疋田城で、地形条件に基づく「戦術展開」を考えると、先陣の位置は「手筒山の前」になるべきで、すると確かに牛一が「手筒山城の前」と書いている、という史料根拠。でも、これが「史料根拠にならない」なら、歴史学者の国語理解に問題がありすぎ。

○ちなみに手筒山城と疋田城は、直線距離で約七キロも離れています。これでは浅井が疋田に来ても、「味方として合流する」ならともかく「信長を討つ」のは不可能ですよね。じゃあどうして「疋田城の干し殺し」なのに、これほど離れた地点に先陣を置くのか。対抗処置で「朝倉が疋田城を降参させる」と、何が変わるのか。最終的に信長が「どこにいて」「なぜそこにいた」のか。それを説明すると「戦術の話」になっちゃうので、今は「戦略の話」を続けたいと思うんですね。すなわち「越前出兵」に続く「小谷城攻め」の戦略で、早い話が「なぜ浅井は籠城したのか?」の問題に戻るわけです。とはいえ、これも単純なんですけど。

●『信長公記』巻三
「朝倉孫三郎後巻として八千ばかりにて罷立ち、大谷の東、をより山と申候て、東西へ長き山あり、彼山に陣取るなり。同浅井備前人数五千ばかり相加り、都合一万三千の人数」

○「小谷城攻め」の直後、信長が決戦に持ち込んだ「姉川合戦」の記述です。ここに書いてありませんか?「朝倉孫三郎景健の八千に、浅井備前守長政の五千が加わって、敵軍は総勢一万三千人」だそうですよ?「越前」では朝倉が、浅井の援軍を前提にしたうえで「戦略を立てていた」わけですが、次の「小谷」だと、今度は浅井が「朝倉の援軍を前提とした戦略を立てる」ということです。ところが牛一の頭には「その認識がない」ために、「越前」でも「小谷」でも「支援関係」を説明する記述はないんですよ。だとしても、「越前」では浅井が裏切った話、「小谷」では朝倉が参戦してきた話、現に「起こった事象」については記しています。だから、その記述を「根拠」にして、考えればいいだけのことですね。
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