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2019年02月04日06:20

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book『十四分の一の月』(ささめやゆき)

ささめやゆきさんのエッセイ2冊目の『十四分の一の月』(幻戯書房)を読んだ。先に読んだ『ほんとうらしく うそらしく』から13年ぶりに書いたエッセイ『十四分の一の月』は2009年のものだ。3部構成で前半のエッセイが著者の若い時代のフランスやアメリカの放浪を描き、後半はささめやさんと絵画制作、絵との出会い等が書かれ、まん中にお住まいの鎌倉文学スケッチが挟まれる著者の絵が入ったすてきなエッセイ集だった。2箇所印象に残った話を引いておく。「未だ二十代だったのですもの。何処か、見知らぬどこかへ行けばユートピアと出会えるかもしれないと、浅薄なおもいで時流にのり、国をとびだしたが、どこへ行っても、ただその国の、その町のの日常があるだけだった。いずれもお金がなければ生きてゆけないのだ。放浪などときどったって、現実の前ではただのボロ布、ボヘミアンといったって気がつけばレストランの下働きと相場どおりになっていた。」(「おいらが64歳になった時」)「(シンシア・ライトというアメリカの作家に触れた後に)ぼくはなにがなんだか解らないから絵を描いている。自分に絵を描く才能があるのかないのか解らない絵を描いている。何を言いたいのかかも解からないので絵筆を握る。描いては消し、消しては描いているうちに、消し忘れた線が女の鼻梁にに見えてくる。しみや汚れも子細に眺めてみれば馬のうしろ脚に見えなくもない。こんな発見をひとつすると、バラバラだった機械の部品がガチャガチャと勝手に動き出して、自分のあるべきところに収まってゆくように絵が完成に向かう。辻褄があうというのだろうか。それからおもむろに、こんな作品を描きたかったんだとしみじみと画面を見て思うのだ。」(「神様が・・・」)次に宮沢賢治の原作に著者の絵を配した『カドルフの百合』を図書館からかりてくるつもりだ。
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