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2018年10月26日02:01

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本史関ヶ原134「味方を信じられるか」

○合戦展開の創作作業は終了です。私にとっては「吉川広家が中仙道をあけていた」状況について、矛盾のない展開が「見えた」段階で、全部の答えが出ていたようなものです。あとは確認のため、細部を詰めてみた次第。わずかな史料の記述内容とも一致しました。文章の一言一句まで、意味が判別できたと思います。

●六一号二番8月17日「返信」黒田長政「宛」吉川広家
●六一号三番8月25日「差出」黒田長政「宛」吉川広家
●学術文庫8月28日「差出」浅野幸長、黒田長政「宛」小早川秀秋
●一〇八号9月14日「差出」井伊直政、本多忠勝「宛」稲葉正成、平岡頼勝

○八月中に黒田長政から吉川へ送られた手紙が二通、秀秋へ送られた手紙が一通あります。ただし学術文庫『関ヶ原合戦』所載の「秀秋宛て」は、文章から判断して「二度めの手紙」だったようですので、これで全部ではなさそうです。しかし吉川の行動、秀秋の行動から推測すれば、この三通は確かに届いていたと見られます。ところで「定説化している解釈」では、この三通とも「長政が裏切り工作を仕掛けたもの」とされてきたわけですよ。ということは、吉川にしても秀秋にしても「受け取った手紙のことを、味方の誰にも話さなかった」となりませんか?「長政の裏切り工作」によって、吉川も秀秋も最終的に「裏切った」と解釈する以上、この手紙の存在は「秘密のはず」なわけです。だとすれば、吉川も秀秋も「西軍の仲間」に対して「嘘をついている」ことになるじゃないですか。けれども「私の作ってきた展開」では、吉川は決戦当日も裏切ってないのだし、秀秋の裏切りは「石田の行動」に対する「前日の決断」です。ゆえに「秘密にする理由がない」わけです。しかも六一号三番と学術文庫「秀秋宛て」は、「徳川軍が来るのか?」問題と関わる重要な情報が書かれている手紙です。大垣戦の前の打合せで、この手紙が届いたことは「仲間内に公開されるべき」ですし、疑うのなら「長政がわざと嘘を伝えてきて、揺さぶってきた可能性」のほうを考えるべき。そもそも、信じるべきは「味方」であって、疑うべきは「敵」でしょう?

○一〇八号誓詞には「右三ヶ条両人請取申候。若偽於申者、忝も」の文章に続いて定型の神文が書かれています。「右三ヶ条」とは「家康は秀秋を敵視しない。家康は小早川家を敵視しない。味方すれば加増もある」の三つです。それを「両人」が「請け取り申し候」と言っているんです。「両人」とは差出人の井伊と本多でしょう。続く「請取申」は、当然「家康が三ヶ条を誓った誓詞を私たち二人が受け取りました」ってことのはず。もしも「家康に口答で命じられただけ」なら「両人被仰付」となるはずです。よって家康の「誓詞原本」は、井伊と本多が預かっていて、小早川家には「届けていない」ことになります。また、一〇八号誓詞の本文には「三ヶ条」が書かれているので、家康の誓詞は写しも届けていないでしょう。けれど「間違いなく両人が受け取りました。もしもそれが偽りだったら、どんな神罰でも受けます」と「誓っている」わけです。ちなみに六一号二番で黒田長政は「拙者所へ被成御書候間、御使者懸御目候、本書此方にとどめ申候」と書いています。せっかく家康から墨付きをもらったので「御使者に御目にかけた」けども、万一にも御使者が紛失したら大変なので「この書は私の手元にとどめておきますから」と言っているわけですね。一〇八号誓詞の場合も「戦場のどさくさ」で紛失する心配はあるのだし、だとしても「確かに受け取っています。嘘ではありません」とわざわざ誓詞を書いたのですから、秀秋はこれを「信じる」んですよ。しかも小早川家で「誓詞を返している」とすれば、井伊と本多の側でも「秀秋は裏切らない」と「信じる」んです。ところが後世の「信じない者」が、吉川宛て「一〇七号誓詞」を偽造しちゃったことで、長政の手紙も一〇八号誓詞も、嘘をついて「だます」ための「裏切り工作」と解釈されたんです。

○石田を見限った秀秋。だから「関東側へアピール」しますが、もしも関東側が応じてこなければ、とりあえず「最前線の吉川たちを守るために後詰めをするだけ」です。しかし徳川家が反応し、誓詞まで書いてきたのですからね。自分の意図が伝わった、と確信した秀秋。吉川には「長政のもらった家康の墨付き」がありますから、たとえ「石田たちが敗走」しても「吉川らは守られる」と信じられます。一方の関東側は「秀秋が敵か味方かわからない」条件だと、石田の意図が確定しないんです。総追撃を狙っているのか、徹底防戦だけのつもりか、廟算では判断がつきません。けれど「秀秋は味方であって、わざと敵地にいる」と判断すれば、石田の意図は「総追撃」しかないんですよ。じゃあ石田のほうは、秀秋が裏切らないと「信じた」うえで、秀秋を「山中に引き入れた」のでしょうか?

○石田は味方を「信じてない」んです。だからこそ、不用意に「山中へ陣替えする」という行動に出てしまったんです。「後巻きに出た部隊」を守る気があるなら「予定外だけど、先に稲荷山を押さえに出る」という方法だってあったはずです。だから「前線に出てきた秀秋に詰問された」とき、石田は自分の立場を正当化して「弁明した」でしょうね。すると秀秋が「山中に陣を下げてくれた」わけじゃないですか。これで石田は「秀秋を説得できた」と思うわけなんです。しかも想定どおりに「関東側が関ヶ原へ出てくる」し、そのうえ「攻勢行動に出て、こちらの陣地を攻めてくれる」んですから、石田としては「すべて自分の思い描いたとおりになった」わけでして、だから関東側の仕掛けに「だまされた」んです。まさか関東側が「迎撃態勢もとれない場所へ下がりながら、実は追撃を誘っている」とは「思わなかった」んです。これが『孫子』の世界ってものですよ?

○「定着している展開」は、味方のことすらも「信じていない」世界です。誰のことも信じていないくせに、相手に信じてほしいときは、相手が都合よく信じてくれるし、相手をだまそうと思ったときは、相手が都合よくだまされてくれる世界です。だって「世界は主人公を中心に回っている」だけの「作り話」だから。
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