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2016年04月09日01:48

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関ヶ原史料「加藤清正」地方情勢一〇二号

○九州の熊本にいる加藤清正が、状況を伝えている手紙です。徳川の家来、本多正信と西尾吉次に宛てたもので、九月七日付。

●手紙一〇二号の一番「わざわざ申しあげます。どのあたりまで御出馬なされましたでしょうか。お聞きしたく思い、お手紙しました」「私めの女房どもは今月一日に熊本へ到着、そばへ呼びました。もしや御気遣いなさっておられないかと思い、申しあげます」「奉行衆から私のところへ、相談したいとかで、毛利壱岐守を派遣したそうです。手紙は届いておりますが、当人は小倉にいるそうです。その後、先月の二十九日に、大坂の当家留守居の者に命じ、互いの誓詞の案文を送ってよこし、秀頼様に御忠節はこのときなので、家老を人質に出し、こちらへ来て御奉公するように、と申し伝えられました。すぐには返事もできません。状況によって、如水とも相談し、返答するつもりです。このことが、もし御耳に入られたとしても、御不審に思われませんように。よくよく如水と話し合ってのことですので、御安心に思われますように。再三手紙を送っておりますが、一人も戻ってまいりません。小山から送られました当家の者が一人、到着しました。それ以後、また一人を送りました。その後にまた、如水と相談してからと、一人ずつ送っています」「こちらの面々は尾州の清洲あたりへ御着きになりました。お一つ左右されうる状況を聞きました。どの道であれ、ここの隣国を命じられるだろうと思い、如水と話し合いまして、こちらにおります。絶対に出し抜くようなことは致しませんので、御安心に思われますように。詳しいことは、前述の、如水と相談してから送った使者に、口頭で言い聞かせてあります。これらのこと、よろしいように御披露を願います」

○清正が九州で「何かをしている」ことを報告するものではなく、その逆に「まだ何もしていない」ことを伝えているようなものですね。もう一通「二番」があります。宛名は同じく本多正信と西尾吉次ですが、こちらは九月十一日付です。

●手紙一〇二号の二番「強く申しあげます。このたび絶対の御奉公を申しあげる心根が、御耳に入り、御証書を頂戴したあと、御前に置いておきました小姓が昨日戻り、口頭で聞きました。本当に申し訳なく、御詫びの申しあげようもありません。こちらのことは少しも落度がないように命じますので、御気遣いなさいませんように。なおかつ、大坂より私の女房たちは、具合よく返されましたので、御安心に思われますように。それから、先だって当家の者が小山で仰せをいただき、戻されまして言ったのには、尾州方面へは御出馬なさらず、以前には、出し抜けの働きはしないようにとの仰せもあったので、今まで城を守っておりました。もはや尾州方面へ御出馬なされて、濃州へ御許可のようすも聞こえてきましたので、こちらのことは、如水と相談し、しっかりと働き、すぐにも隣国を制圧し、御報告申しあげるつもりです。これらのこと、よろしいように御披露を願います」「証書に重ねる場合、この印判でお伝えしますので、そのように御理解ください。そのために、ただ今、捺印してお送り致します」

○二つの手紙を比較しますと、似たような内容であるだけでなく、似たような表現が見られるのです。それでいて、その「似た表現」のところが、違う意味になっているのです。たとえば一番の「出し抜くようなことは致しません」は、原文で「卒爾之儀仕間敷候」です。これが二番では「出し抜けの働きはしないようにとの仰せもあった」で、原文は「卒爾之働仕間敷之旨被仰下に付而」です。「卒爾」を「仕間敷」は同じでも、「卒爾を致しません」と清正が言う一番と、「卒爾をするなよ」と家康が言った二番では、意味が逆ってもんですよね。また、一番の「隣国を命じられるだろうと思い」は、原文で「隣国可申付と存」です。二番だと「隣国を制圧し、御報告申しあげるつもり」で、原文は「隣国申付御注進可申上」です。「可」の位置が違うため、一番では「清正が、家康に、制圧を命じられるだろう」のところ、二番では「清正が制圧を命じて、家康に申しあげるだろう」となって、これも意味が逆転です。ちなみに一番を意訳しますと、「連絡がないので状況がわかりません。九州にいて、そちらへ行かないのは、大坂の味方になったからではありません。絶対に裏切りません。隣国のことも、いずれ命令が来るだろうと、如水と話し合っています」という感じ。しかし二番は「家康様が、尾張にも行かないと聞いたので、九州にいたのです。そしたら、もう尾張に行かれたうえ、すでに美濃で戦っているとのことですから、如水と話し合って、こちらでも隣国を攻めます」と言っているわけです。要するに二番は「天下取りの戦争に参加します」と言っているようなもの。おそらく一番を下敷きにして、勝手に書き直した偽書なのでしょう。定説化したストーリーと合うように、こうやって偽造されていくってことですね。残る問題は、一番が本物かどうか。
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