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2016年03月25日02:34

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関ヶ原史料「謎の起請文」決戦前一〇七号

○まずは家康が、栃木の大田原晴清に宛てた手紙。九月十三日付。

●手紙一〇六号「手紙の到来、喜ばしいです。それというのも、そちらでは何も変わりがないということなので、納得です。ますます防備などに油断なく命じるべきでしょう。こちらでは、今日十三日に岐阜へ来て着陣。さっそく反逆者どもを討ち果たして、吉報をお届けできるだろうと思います」

○九月一日に江戸を出陣した家康は、十三日に、岐阜城へ到着したようです。この手紙の内容だけでは、本物かどうかの判断はできないのですが、ほかの手紙史料にも「十三日に岐阜着」は書いてありますので、およそ間違いないだろうと思われます。なお、前日の十二日、家康は清洲城に到着し、そこから伊達政宗に手紙を書いているようなのです。政宗の書いた返事の手紙を、一部抜粋してみます。

●手紙一二五号の抜粋「去る十二日の清洲からの手紙など、届きました」「そちらのこと、大垣を助ける者として、毛利宰相、長大、吉川、安、出てこられたとのこと。これにより、まずはこの者たちへ手を向けられて、すぐにも倒してしまわれようというのは、まったくそのとおりだと思います。勝利を得られるだろうことは、絶対だと思います」

○この手紙には「家康が大垣の情勢を報せてきた」ことが書かれています。この手紙が本物なのかは微妙なところでして、あとで改めて細部の精査をするつもりですが、ともあれ「城を攻めずに、城を助けにきたほうと戦う」の内容は注目するべきものでしょう。ただしこれを、「城を攻め落とせないうちに、敵の援軍が来ちゃったので、予定を変更して、援軍と戦うことにした」と読むか、「下策の城攻めなどしないよ。救援軍が来たから、そっちと戦うのが当然だね」と読むのかで、解釈がまったく変わってしまうわけなんです。しかも、「包囲された城が籠城すると、救援軍が出てくる」ことは、今までに何度も書いたとおりで、その程度の「あたりまえのこと」をわざわざ書いている点が、少し疑問なんですよね。

○さらに疑問を深めてしまう手紙があります。もはや決戦も直前となる九月十四日付で、井伊直政と本多忠勝が連名で書いたもの。宛名は吉川広家です。

●手紙一〇七号「起請文の前書き」「輝元に対して、まったく少しも内府は思うところがありません」「御両人が特別に、内府に対して御忠節であれば、いま以降も内府は、少しも思うところがありません」「御忠節を決められれば、内府の直筆の証書を、輝元のために送りましょう」「前記の三ヵ条は、我ら両人が誓約致します。もしも嘘をついたなら、恐れながら、梵天、帝釈、四大天王、すべての日本国中の大小の神々、特に八幡大菩薩、熊野三所権現、加茂、春日、北野天満、大自在天神、愛宕大権現の処罰を受けます。よって起請文このとおり」

○定説解釈において、徳川は「吉川広家に対して、裏切り工作を仕掛けていた」わけですよね。その証拠の起請文、すなわち誓約書です。しかもこの史料は、吉川家の記録から採録されています。なるほど本物に思えます。ゆえに「確認」してみようじゃないですか。一二五号で「吉川が出陣してきた」ことが記されていて、そして一〇七号の起請文。この結果「吉川は決戦時に動かなかった」となるのなら、つまり「吉川とは事前に戦わない約束がついていた」ということですよね。ならばどうして一二五号で「助けにきたほうと戦う。倒してやる」と「家康が伝えてきた」ことになっているのでしょうか。ほら、またも家康は「本当のことを政宗には言わず、嘘をついている」となるじゃないですか。そのうえ「嘘つき家康」ときたら、この起請文さえも「結果的に無視する」ってわけですね。ところが、今まで史料を見てきた限り、本当の家康は「輝元と戦わないで済みそうだ、よかった」と考えていて、黒田長政に「吉川と連絡をつけてくれるとありがたい」と言っていたようですよね。それなのに「吉川が救援に出てきた」となった場合、どうでしょうか。こんな起請文を書くでしょうかね。要するに、一二五号と一〇七号は両立しえず、どちらかが偽書であると見られるのです。ただし、救援軍が来ていること自体は事実でしょう。なぜならば、九月八日付「細川忠興の手紙三号」に、「家康が到着したら、ことごとくやっつけてやる。おまえに見せてやりたいよ」という記述があったからです。これは間違いのない原本史料ですから、「やっつけてやる」のは「大垣の籠城軍」のことではなく、「出てきた救援軍を野戦決着で討ち果たしてやる」と言っているはずなのです。問題は、救援軍の中に吉川軍がいるのかどうかで、いるならば「吉川が出てきちまったから戦うしかない」とわざわざ伝えた一二五号が、いないなら「輝元を敵視しないと誓約する」の一〇七号が、本物ということになるでしょうね。どうやら、戦後処理に関する手紙史料を精査してみるまで、真偽の判断はできそうにない感じです。
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