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2015年11月07日01:16

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関ヶ原史料「黒田如水の理解」大坂決起五一号

○時間が跳んでしまいますが、先に八月一日の手紙を見ていきます。九州の大分県、中津城にいる黒田如水が書いた手紙です。宛名は吉川広家です。

●手紙五一号の一番「天下のことは輝元様が御指図なさいますようにと、奉行衆の申し出により、大坂城へ御移りになったことをめでたく思います。そうなったからには、秀頼様に反逆心を持つ者などいるはずもないので、やがて、めでたく静まることでしょう。そうであれば、九州や四国の衆の人質を、輝元様が御預かりになるよう、言上するのがいいかと思います。九州の鍋加州、加主、羽左近、毛壱、島津、この者たちもそう思うはず。甲州の人質はあなた様が輝元様から御預かりになるよう、なんとかできませんかね。そうすれば、どんなふうにも御馳走できるのですが。人質が奉行衆の手にあると、輝元様への御馳走ができなくなります。そこをよく考えることです。内府公の上洛は、絶対にあるはずだと思います。そうなったときは、あなた様が、またしっかりと取り仕切ることで、輝元様のことも、なんとかなるのではないでしょうか。とにかく今はよくよく考えることです。さてさて、この不慮の事態は、どうなることでしょうな。そちらの状況を詳しく話せる者を一人、こちらへ送ってほしいのです。そうすれば、私の心中に思うところも、あなた様に、残らず話せるのですけども」

○ポイントは二つです。輝元の大坂到着を、吉川広家が報せてきたらしいこと。自分たちの人質を「毛利が保護してほしい」と頼んでいること。ゆえにこの手紙は偽書ですね。だって前回に「手紙三三号」の説明で書いたじゃないですか。輝元が到着したころ、「石田の本当の狙い」はまだ隠されていて、「不忠の細川を成敗だ」の話になっているんです。その時点で、どうして「大名の人質を押さえる」必要があるのでしょうね。では、もう一つ、こちらも如水の広家宛てで、八月四日付。

●手紙五一号の二番「先月二十三日のお手紙、昨日拝見致しました」「天下のなりゆきは、言ってもしょうがないことです。こんなこともあろうかと、常々考えておりましたから、驚きませんけどね」「甲州のことを御気遣いくださったようで、ありがたく思います」「豊前のことは、少しも御気遣いをなさいませんように。加藤主計と話し合ったので、どこから仕掛けがあったとしても、ひと合戦で済むでしょう」「京都へ言伝ての手紙を送ります。届きますよね」「このたびは合戦にならないと思います。恐れ多いことだし、また、合戦に慣れている者はあなたぐらいですからね」「口上で伝えますので、詳しくは書きません」「日本がどのように変わろうとも、あなたと私の関係は変わるものではないので、そう理解しておいてください。なお、おいおい書くつもりです」「追伸。信頼できる者に来てほしいと、御留守居役に伝えておいたので、その者が来てから、おいおい話すつもりでいます」

○これのポイントは、第六文で「このたびは合戦にならないと思います」とあることです。原文では「今度弓矢成立申まじきと存候」です。広家が手紙を書いた七月二十三日に、大坂では何かの事態が起こったはずで、だから広家は、それを手紙で報せてきたのだと考えられますが、それに対する如水の返事が「合戦にならないだろう」なんです。つまり、二十三日の時点では、まだ「合戦が始まっていない」ということ。なお、定説において七月二十三日であれば、すでに「伏見城攻撃が始まっている」わけですよね。手紙の記述と合いませんよね。というわけで、一番は定説に合致して「最初から全面戦争だ」の手紙、二番は定説に合わず「次第に戦争が拡大する」の手紙です。このように二種類あるのですよ?

○二番の第八文には、「日本がどのように変わろうとも、あなたと私の関係は変わるものではない」とあります。これによって、如水の理解がわかります。七月二十三日に「何かの出陣命令」が出たが、「この出陣は、合戦にならないで終わるだろう」けども、「そのことによって、日本は大きく変化する」というわけです。しかも冒頭には「天下のなりゆき」の言葉もあります。だとすれば、二十三日に「伏見城攻撃の出陣命令」が出たのでしょう。「三五号」細川忠興が杵築の家老に宛てた手紙の説明で、すでに書きましたが、「わずかな留守部隊しかいない伏見城は、本来なら、さっさと城を捨てて、逃げ出すべき」なんですよ。如水こと「黒田官兵衛」は、「秀吉の軍師」とも言われているような人物です。「合戦のプロフェッショナル」なんですから、「細川忠興だってわかっていて、家来に城を捨てるように命じるのが実際の合戦だ」ということを、知らないはずもないじゃないですか。「出陣したところで、伏見城は降参して終わり。合戦になるはずもない。その代わり、徳川の家来を降参させて、関西から追い出した以上は、徳川と手が切れることになる。豊臣家の全権を預かる毛利家と、関東に君臨する徳川家が、さながら室町公方と鎌倉公方のように分裂して、日本は室町時代に戻るだろうな」と考えたのだと思いますね。そのとき、「息子の長政が今現在は徳川のほうに行っちゃっている」如水としては、豊臣の配下にとどまるか、徳川の支配に移るのか、決断を必要とするのかもしれません。だとしても「あなたと私の関係は変わらないからね」と書いて、要するに「ぼくらは友達でいようね」と言っているわけです。これが「本物の黒田如水」だと思いますよ。ところが、如水の推測をくつがえして「合戦に持ち込んだ」のが、石田三成の計画だってわけなんです。
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